悪習慣から自由になる
結論、
悪習慣を断つには、
「自分ではないものを手放すこと」
悪習慣とは?
夜ふかしや運動不足、不健康な食事など、
世の中には悪習慣と呼ばれるものが存在します。
これらによって人生うまくいかないと考える人は少なくありません。
そう思うなら変えればよいのですが、
そう簡単にはいきません。
なぜでしょうか?
その問いに答えるには、
「そもそも悪習慣とは何か?」
考える必要があります。
結論、
「悪習慣とは、
自分が自分であることを妨げる習慣」
です。
人に惑わされるな
自分が自分であることを妨げる習慣
ぼやっとしたので、
もう少し具体的に。
自分が自分であるというのは、
やりたいことを制限無く行うことです。
ただやりたいからという動機だけで、
評価や常識などの他人の目を一切気にせずにやりたいことをやることが、自分であるということです。
そして悪習慣は、
それを最大限に出来なくすることです。
例えば、
ある人は読書を通して得た知識を伝えることに喜びを感じるのであれば、
読書がはかどらなくなる習慣は悪習慣になります。
YoutubeやTiktokなど、SNSの利用は避けるべきという声は多くあります。
しかし、無条件にではありません。
SNSの過度な利用で読書や発信を行う労力が無くなってしまうのなら悪習慣です。
逆に、他者の発信を見ることよって、読書や発信の活力が湧いたり、発想力が豊かになるのならそれは悪習慣ではありません。
tiktokを見続けることが悪いのではなく、
tiktokを見続けることで他にすべきことができなくなるから悪習慣なのです。
また、ダイエットに関して、
自分に自信を持って周囲の人との交流を楽しみたいのに、不健康な食生活を続けてしまうなら食べ過ぎは悪習慣ですが、
食べたいものを好きなだけ食べることが生きがいなら悪習慣ではありません。
それで余命が短くなるからといって何の問題があるのでしょうか?
確かに、ある程度食欲を抑えたほうが長生きでき、人生トータルで見た時にたくさん食事を楽しめるという意見があるかもしれませんが、それを選ぶかどうかは個人の意志です。
人生トータルで摂ることのできる栄養は決まっているという話もありますし、節制したところで別の要因で死亡する可能性は低くありませんから気にするだけ野暮なのかもしれません。
いずれにしても他人から決められることではありません。
誰にとっても悪習慣ということはありません。
自分のやりたいことを助けるなら良習慣、
妨げるなら悪習慣。
やりたいことが違う以上、良い習慣なのか悪い習慣なのかは人によるのです。
ですから、人の話を真に受けすぎるのは危険です。
他人の軸で物事を判断してしまうと、
自分にとって正解なことを不正解としてしまう可能性があります。
自分に合わないものをどれだけ集めても不調になるだけです。
「一般的な良い習慣」を出来ていない自分を否定することにも繋がりかねません。
自己否定で活力を失うとしたら本末転倒です。
もちろん、
誰かの意見と言った時、
それはおそらく人間の意見でしょうから、
人間として共通する部分に関しては参考にして良いでしょう。
しかし、人それぞれ異なる部分は無数にあります。
全てがあなたに合うことはありません。
どんな意見でも、
自分にとってどうか?
ということを一度考える必要があります。
自分は何者か?
自分にとってどうか?
それを判断するには、
何の制約も無いとして、何がやりたいか?
という目的地を明確にする必要があります。
その目的地こそが、
自分を自分たらしめることです。
そして、それ以外は捨てるべきものです。
「何の制約もないとして、」
と前置きしましたが、
制約によって行動にブレーキをかけるのは悪習慣です。
やりたいことを出来なくするからです。
ジャンクフードを食べすぎて体調を崩すのと同じです。
毎日を良い習慣で塗りつぶすには、
この行為は目的に沿うのか沿わないのか?
という軸を持つ事が必要です。
「自分は最大限に自分を生きているか?」
という問いを持ち、
やりたいことを最大限に行い、
それにそぐわないものは手放していく。
その連続で、軸はより強固になります。
軸さえはっきりすれば、
習慣など考える隙もなく、
ただやりたいことを最大限するための毎日に、
自動的に調整されていくでしょう。