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【GRIT】人生でなにを成し遂げられるかは「やり抜く力」で決まる

 僕たちは「才能」という言葉が大好きです。それも潜在的に。表面的には「努力の方が重要」と思っていながらも、心の奥底では「才能」を信じ、天才に憧れを抱いています。そう言われると「いやいや、そんなわけない」と思うかもしれません。

 心理学者のチアユン・ツァイは、以下のような心理実験を行いました。

 プロの音楽家に対し、同等の実績をもつ2名のピアニストのプロフィールを紹介します。

 ひとりは「才能豊かで、幼少期から天賦の才を示した」。
 もうひとりは「努力家で、幼少時から熱心に練習し、粘り強さを示した」

 つぎに、参加者たちは2名のピア二ストのピアノ演奏を収録した短い録音を聴き比べました。しかし実際には、あるひとりのピアニストが、同じ曲のべつの部分を演奏しています。

 この実験の結果、音楽家らは「天賦の才」に恵まれたピアニストの方が、演奏家として成功する確率が高いと評価しました。

 無意識のうちに「才能のバイアス」が働いているのです。

 これは音楽家に限った話でしょうか?

 いいえ、ちがいます。他の様々な心理実験でも、「人は才能より努力が大事と思っていながら、何かを選ぶ時は才能を選び憧れる」、という結果がでているのです。


➣「天賦の才」を信じれば自分がラク

 なぜこのような結果になるのでしょうか?

 ドイツの哲学者、ニーチェは次のように語ります。

天才というのは神がかった存在と思えば、それに比べて引け目を感じる必要がないからだ。「あの人は超人的だ」というのは、「張り合っても仕方がない」という意味なのだ

 言い換えれば、「天賦の才を持つ人」を神格化してしまったほうがラクなのです。そうすれば簡単に現状に甘んじていられます。偉業を達成するようなすばらしい人を見た時に、その人のすさまじい訓練と経験の積み重ねを想像せず、「あの人は天才だ」「生まれつき才能のある人はちがう」と神格化してしまった方が、自分が惨めにならず、落ち着いていられます。

 自分を守るために、無意識のうちに「才能のバイアス」が働いているのです。

 しかし、本当は違います。どんなに「才能」に恵まれた人でも、血のにじむような努力なしに、偉業が達成されるはずがありません。

 僕は子どもを育てる親、そして教師こそ、この「才能のバイアス」に支配されず、子どもたちの可能性を信じて、努力することの大切さを訴え続けていかなくてはならないと思います。


➣偉大な達成を導く方程式

 心理学者のアンジェラ・ダックワースは著書「GRIT やり抜く力」の中で、私たちに勇気を与えてくれる「偉大な達成を導く方程式」を示しました。

才能×努力=スキル
スキル×努力=達成

「達成」を得るには「努力」が2回影響する

 ダックワースは、「才能」とは「スキルが上達する速さ」のこととしています。人がどれだけのことを達成できるかは、「才能」と「努力」のふたつにかかっているということになります。

 しかし重要なのは、「努力」はひとつではなくふたつ入ることです。「スキル」は「努力」によって培われ、「努力」によって生産的になるということです。

 もちろん、この方程式は環境やコーチなどの外的要因が与える影響は考慮していません。あくまでも各個人の中のものです。


➣努力家タイプが強い理由

 サッカーを例にして考えてみましょう。子どもがサッカーを習い始め、「試合に出て活躍する」という目標を達成させたいとします。

 サッカーを習い始めたばかりの頃は、「才能」によって上達の速さに大きく影響を受けます。一回やったらすぐにできる子もいれば、何回やってもうまくできない子もいるでしょう。

 しかし、「努力」をしていれば、それなりに上達していくものです。ボールを遠くまで蹴ったり、ドリブルでボールを運べるようになってきて「スキル」が習得されていきます。

 ところが、いざ試合に出てみると、せっかく練習した「スキル」を生かすことができません。練習と試合のちがいを肌で感じることになります。

 そこでさらに「努力」をして「スキル」を磨きます。体力もついてきて、一日20本シュートの練習をしていたら疲れていた子が、50本、100本と打てるようになっていきます。生産性の高まりです。そして、基礎的なことを意識しなくても「当たり前のようにできる」ところまでスキルを習得します。

 それはボールを見ていなくても正確にボールを蹴ったりドリブルをしたりすることができるような感覚です。

 そのような「努力」があってようやく試合で活躍するという目標の「達成」につながります。

 

 この方程式が正しければ、才能が2倍あっても人の半分しか努力しない人は、長期間の成果を比較した場合、努力家タイプの人に圧倒的な差をつけられてしまうことになります。

 サッカーを始める前に、ここまでの「努力」を想定している子はいません。ですから、始めてみたもののうまくできなくてすぐにやめてしまう、自信を失う、という結果を招いてしまいます。

 何か新しいことに挑戦するときには、この方程式を意識するだけでも、焦らずじっくり自分と向き合って「努力」し続けることができるのではないでしょうか。


➣「GRIT」を信じる

 ダックワースは、著書の中でこのように語ります。

 人生でなにを成し遂げられるかは、「生まれ持った才能」よりも、「情熱」と「粘り強さ」によって決まる。
 みごとに結果を出した人たちの特徴は、「情熱」「粘り強さ」をあわせ持っていることだった。つまり、「GRIT(グリット)」(やり抜く力)が強かったのだ。

 だとしたら、僕たちが子どもたちに授けるべき力は、「GRIT」かもしれません。「GRIT」を備えていれば、将来どんなことに関心をもっても、自分の目標を達成できる人になれるからです。

 「子どもには無限の可能性がある」と言われます。

 僕は、どこまで子どもの可能性を信じているだろうか?

 その子の可能性を信じて、励ましの声をかけてあげているだろうか?

 この子には才能がないからといって、最初から諦めたりしていないだろうか?

 そして、自分の可能性を諦めたりしていないだろうか?

 人は誰でも限界に直面します。しかし実際には自分が思っている以上に、限界だと勝手に無理だと思い込んでいる場合が多いのです。なにかをやってもこれが自分の限界だと思ってしまう。ほんの少しやっただけでやめてしまい、他のことに手を出す。どちらのケースも、もう少し粘り強くがんばればできたかもしれないのです。

 「GRIT」を信じることは、大変なことへの挑戦です。それと同時に、目標達成に向けた楽しい人生へのスタートです。

 「GRIT」、僕はこの力を信じてみようと思います。


この記事はこちらの書籍を参考にして書いています⇩⇩⇩


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