『N/A』年森瑛
『N/A』年森瑛 としもりあきら 文藝春秋
付箋を貼り線を引きながら読んで、知ったり考えることは楽しいし、書いてあることが難しくても、社会へ向かう視点が押し広げていってくれます。そういった文章は伝えるために組まれた言葉が多いし、ぼくも著者の言葉を受け取ろうとして読みます。その姿勢も嫌いではないけど、徐々にアタマが凝ってくる気がして、緩めたくなるのです。だから最近は小説を読みたい気分になっています。
候補者が全員女性と話題の第167回芥川賞にノミネートされた本作。そう喧伝されているため女性らしいとしりつつも、ジェンダー不明なペンネームだと思いました。
この小説は、言葉のフレームににとらわれない言葉に没入していく快感に陥りました。こんなふうに始まります。
女子が発したり纏った臭いが教室に充満する様子を描きつつ、カーテンは風にそよぎながらも一部を繋ぎとめられてブラジャーの形になり、プリントを受け取りつつ身体をひねる時に胸を圧迫されている。女子にまつわる解放と拘束をさりげなくかつユニークで繊細に描写です。
そのプリントにはこう書かれていました。『低体重は月経が止まる危険性があります』『将来のために過度なダイエットはやめましょう』。これを目にして以来、主人公松井まどかは炭水化物を抜き、生理を止めることに成功し、自分の世界がつくり始めます。そうはいっても彼女は逃げなければならない存在ではありません。ポジションは安定しています。
「松井様」という敬われつつ距離感のある呼び名はスクールカースト的に安泰なことを示しています。決して孤独ではなさそうです。まどかには年上の彼女がいて、教育実習に来ている大学生うみちゃんと交際しています。
王子っぽいというキャラクターや女性と付き合っていることより、まどかを独自の立ち位置にしているのは生理に対する考え方です。生理に悩んだり嫌がったりするのはなく、自ら食事制限でコントロールして止めるています。生理経験のないぼくが言葉にすべきかわかりませんが、そこに他の女性たちと異なるまどかが維持したい居場所があるのです。だから女性としてみられることに敏感です。ある日祖母は痩せたまどかを心配して声をかけます。まどかは以下のように感じとります。
女の子は身体冷やしちゃダメ、といった類の言葉は、彼女の心を通り抜けて彼女の腹部を気遣っているようにしか思えないのです。まどか自身が望むこととは違ったかたちで求められていると感じます。
まどかはうみちゃんとつきあってはいるけど、レズなのかというと、そこもよくわかりません。自分を好きになってくれた人と、付き合っているようなのです。それよりも自分の領域を護ることの方が重要です。
後半に入ると、まどかの世界が軋み始めます。あるきっかけで、まどかはいつもより食べてしまいます。生きるエネルギーである食物も彼女ににとっては異物であり、外敵なのです。ある状況を終わらせるために皿を空にするしかありませんでした。しかし食べてしまったことで、彼女の身体のバランスを崩れはじめます。それは環境を壊すことを意味します。
タイトルのN/A、ぼくにとってはGoogleのスプレッドシートでしばし目にするエラー記号です。not applicable の略で「該当せず」、もしくは not available で「入手不能」「利用不能」という意味だそうです。Googleスプレッドシートで出てくるN/Aはnot available valueの略で、利用できない数値ということになります。それはセクシュアリティが該当しないことだけでなく、祖母をはじめ社会に対して利用不能=社会の外部に居ようとすることを示しているのかもしれません。
追伸: 本書は電子書籍で読みました。装丁がよほど気に入らない限り、小説はなるべく電子書籍化文庫で購入しています。本書は電子書籍を選びました。こういった中短編の小説は電子書籍で読むのも悪くないと思いました。短い小説はエンディングがスムースランディングでないことが多い。そのとき、紙だと残りのページを気にしてしまいがちです。けれど、電子であればそれに気づかず勢いを持ったままエンディングを迎えます。そのときの投げ出された気分は、作家が意図した以上の感覚かもしれません。