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心が疲れて発達障害の診断を受けに行って脱力したりしたお話。心の病ってこういうものなのね。

大学生のころから一時期、精神的に疲れて、不眠と不安、自己否定感、無気力に苛まれるようになり、しばらく心療内科にかかっていた。精神科とほぼ同じだが、私が行ったのは最近はストレスケアとかメンタルクリニックなどと言ったりする、入院などは必要ない相対的に軽い症状で、ストレスでつらい人が比較的気軽にかかれるところだ。

初めて行った医院は、大学と隣接した一人暮らしの家からさらにバスで20分。知り合いに会わぬよう、遠いところにした。診断名は告げられず、頓服の抗不安剤をもらった。

うつ症状のだるさで遠くまで通うのが次第にきつくなって、近くの医院に変えた。自転車で20分。ここでも診断名は積極的に告げられなかったが、尋ねると、うつ状態、ということであった。またしても抗不安薬をもらった。断続的にしばらく通ったが、よくなっているとも悪くなっているとも言われず、薬も頓服をもらうだけで、ゴールがどこか、いつまで治療するかも不明で、よくわかんないなーというところであった。

ちゃんと先生に聞けばよかったんだけど、なにせ気分が落ちてるからうまく意思表示ができず、遠慮がちに「診断名は本当ですかもっとひどいものではないですか」ときいても「心配しすぎですよ」と一笑に付されて「誤魔化されている?」と疑ってみたり、悶々とした。

確かに私はうつ病とは違った。うつ病は、最低2週間以上抑うつ状況が続くという。私は一日の中でも、朝は死にたい消えたいとか言ってるのに夜は元気に歌ったり踊ったりしている。だからといって、うつ状態。とにかく不安で焦ってずーっと精神的に辛い状態が続いているのに、そんなに簡単なものなんだろうかと思った。

自分で自分のことを知ってみようと思い、大学で臨床心理学、精神医学の授業をとってみたり、本屋や図書館で仕入れた人格障害や発達障害の本を何冊も読んでだりしては「私、境界性人格障害じゃね」「自己愛性人格障害の部分もあるんじゃね」「発達障害じゃね」などと一人で戦々恐々としていた。

大学を卒業後引っ越しをして、病院を変えた。そこではしっかり診断名をきいてみた。

「私の病名はなんなんでしょうか。精神不安定の根っこに人格障害や発達障害があるのではないのでしょうか?!」

「あなたは、全般不安障害です。いわゆる不安神経症です。その後ろに、回避性人格障害があると考えられます」

ゼンパンセイフアンショウガイ?カイヒセイジンカクショウガイ?

いろいろ本は読んでいたつもりだったけれど、どちらも知らなかった。先生に聞き、自分でも本やネットで調べてみると、全般性不安障害は昔は「神経症」、「ノイローゼ」と言ったもので、とにかく漠然とした不安を感じる状態だという。回避性人格障害はとにかく自分が恥ずかしくて、消えてしまいたいと思い、物事から逃げて引きこもりがな性格の過度なものだという。実際大学生のときに一時期引きこもっていたし、確かにどちらもその通りであった。

そこには働きながら2年ほど、1〜3ヶ月に一度ペースで通っていたけれど、またあるとき不安に苛まれて、先生に言わずに他の病院にもかかってみた(ホントはだめ×)。そこでは、気分の不安定さを強調してみた。

「私は別の病院で全般性不安障害と診断されましたが、合っているかわかりません。元気な時ときついときの差が激しいんです!」

すると、診断名は軽度の「双極性障害」(うつとハイテンションの差が激しい)であった。

えええ。また新キャラ出て来たよ。そんないい加減なことがあるかね。


そこは予約が取りづらく、また遠くて通う気に慣れず、一回診断を受けただけで終わった(すみませんでした)。

どの診断もなんだかしっくりこなくて不信感を持ってしまったし、元気になってきたので通院はやめた。でも、それなりに社会生活を送りながら、生理前などに不安になると、「私のほんとの診断これじゃね」と思いながらネットや本の情報を探る日々は続いた。

気分変調症。うつ病ほどでない軽度の抑うつ症状が2年間続く。私これじゃね。

雅子皇太子妃殿下(当時)の適応障害。つーか私これじゃね。遠方に進学して初めての一人暮らしという新しい生活になじめないのが長引いただけじゃね。

月経前症候群(PMS)、月経前不快気分症候群(PMDD)。生理前にイライラしたり落ち込んだりする。ただのこれじゃね。

いろいろ見たが、結局よくわからなかった。

そして、ずっと「これかも」と思いながらでも認めたくなかった発達障害。いろんな本を読んでいると、私はこの中のADHD(注意欠陥・多動性障害)に当てはまる気がする。気分屋だしミスや忘れ物、遅刻が多い。全般性不安障害の診断をした先生はそうとは言わなかったけど、発達障害の専門じゃないから診断名がつかなかっただけのような気がする。色々言われたけど、根っこはこれのような気がする。

意を決し、近くに発達障害の専門の病院を見つけて、電話をした。予約はいっぱいで取りづらかった。その頃、私はブラック企業に転職したばかりでストレスのあまり頭が全く働かず、若年性アルツハイマーを発症してるんじゃないか、脳が委縮しているんじゃないかなどと不安になっていて、別の脳神経外科の医院でMRIを受けたりしていた。そこでは「脳はきれい。問題ない」と言われたが、でもやっぱり「気の毒に思ってうそをつかれているんじゃないか」と、なぜ自分で高いお金を払って診察を受けといてそんなに医師を疑ってかかるのか不明だが納得できなくて、とにかく不安な時期であった。

発達障害専門の病院では、テストをしますということで知能検査(WAIS-Ⅲ)を受けた。これで発達障害かどうかがわかるらしかった。頭働かねえと思いながら2時間だか3時間かけて受けた。心理士さんと一対一で、口頭で質問に答えたり、筆記試験を解いたり、パズルをしたり。

一週間後、果たして診断がでた。

「テストの結果では、発達障害レベルではありませんでした。しかし、お話を聞く限り、こだわりが強く、コミュニケーションに特徴があるようです。自閉症スペクトラム、いわゆるアスペルガー症候群の傾向があります。ADHDではありませんでした」



えええええ。発達障害にしても、よりによってそっちかよ。つかテストの結果には出てないけどそれですってテストの意味ってなんだよ。



「そして、知能指数が非常に高かったです。IQ140です。平均は100で、数百人に一人のレベルです。滅多にいません」



ええええええええ。頭働いてんのかよ。脳みそ萎縮してるかと思ってたけどどっちかというと自分天才だったのかよ。自分がわかんねええええ



パソコンのカルテを盗み見すると、「ASD」(アスペルガー症候群)、「高IQ」(高知能)と書いてあった。



どっちの診断も今まで一度もついたことねえええええ



衝撃を受け、なんだか虚脱状態に陥ってしまった。

その病院に1年ほど通い、そのうち仕事に慣れたり転職したりしてわりと健康になって通院も必要なくなって、今に至る。

私はこの数年の体験で精神医学について思い知った。

まずは、

・素人判断はまじであてにならない。

私は自分をいくつかの診断名ではないかと疑っていたが、ついに最後までどの診断もつかなかった。むしろ毎回「誰?」という新キャラが出てきて未知との遭遇であった。私はそもそも全般性不安障害と名前がつくほど、不安に苛まれているのだ。「これかも?」と思うこと自体が症状なのだ。当てになるわけがない。臨床心理学講座のある学部で、臨床心理士の教授の授業を受け、特別授業の精神科医による精神医学の授業も履修し、心理系の本も、きちんとした臨床医や研究者が書いた本を入門書から新書、ちょっと重めのものまで数十冊読んで心理学と精神医学は多少かじったつもりだったけれど、一切何もわかっていなかった。「私この病気かな?」と不安になっていたのは、時間もエネルギーも全部無駄であった。

再度言う。素人の診断は無意味。時々、テレビでほにゃらら評論家とかが「有名人の○○さんは〜症候群の傾向がある」など本人を見たわけでもなく言ってたりするが、まず間違ってると思っていい。

次に、

・精神科/心療内科の診断とは、暫定的にその医師が責任を持って決定し、その後の治療の指針とするものである。絶対的なものではない。

私は不安からかようにドクターショッピングをし(まねしちゃだめ×)、幾多の医師に診てもらったが、ほぼ全部診断が違った。

内科や外科などではこういうことは相対的にずっと少ない。新型コロナウイルスを保持して発症したら新型コロナウイルス患者だし、コレラ菌を持って発症したらコレラ患者だ。骨が折れたら骨折だし、胃に潰瘍ができたら胃潰瘍だ。偽陽性・偽陰性の問題のように検査が正しくないことはあるし、誤診もあるが、現実にはその病気/けががその患者に内在している。

対して精神科・心療内科は、そのように絶対的なものではない。同じ患者でも、発達障害の専門医は発達障害の診断をし、気分障害の専門医は気分障害の診断をする傾向にある。物理的に「アスペルガー菌」を保持しているわけではない。またアスペルガーもスペクトラム、つまりグラデーションになっていて、健康に普通の社会生活を送っているひとも、ほとんどがその傾向を持っている。ただ、全く持っていない人もいるし、誰が見てもアスペルガーだ、という人もいる。どこで線を引くかは、基準はあるものの最終的に医師の主観と責任感に依存する。たぶんどの診断もぜんぶそうなってる。

「アスペルガーぽさ」「ADHDぽさ」「うつ病ぽさ」「双極性ぽさ」「不安の強さ」みたいな心を表すパラメータが無数にあって、みんなたいていは0でも100でもなくそれぞれ10とか30とかもってて、発達障害の専門医は、アスペルガーぽさとADHDぽさを見て値が60を超えてたら診断を下す。双極性障害の専門医は双極性ぽさとうつ病ぽさをみて診断する、みたいな感じなのだ、たぶん。絶対的なものでもないが、いい加減につけられているものでもない。しかも、複数の診断は併存しうる。人格障害だから不安障害じゃない、ということではない。さらに、60を超えた、なんてのも血圧みたいに機械で測定して客観的に出るわけではない。その日の患者の気分でも変わるし、患者が自分の症状をどう説明するかでも変わるし、先生によっても判断は変わる。ただ、最終的には医師の判断でどれかを選び、注力するのだ。

だから、ひとりの医師に「あなたはアスペルガーです」といわれたとしても、他の医師にも同じ診断を受けるとは限らない。100人の精神科医を受診して、同じことを言うのはそのうち10人かもしれないし、100人かもしれないし、その1人だけかもしれない。ただ、「その時のその精神科医の判断がこれだった」ということだけは、確かなのだ。

精神医学、臨床心理学は生まれてまだ歴史が浅い。診断基準もしょっちゅう見直されているし、新しい病名も次々生まれている。歴史とともに確固たるものになっていくだろう。未成熟な分、そういうばらつきがうまれるのだ。

また診断とは、その医師がその人の治療の責任を持って下すものである。診断は常に治療のためなのだ。素人が「あなたは○○障害かも」なんていうのは無責任この上ないのだ。

最後に、

・精神科の症状/障害/病名は飽くまでもその時の状態であり、その人そのものではない。

事故で左足を失った人は、足は再生しないので、再生医療が発達しない限り、一生「左足のない人」となる。視力が落ちて近視になったときも、視力はまず回復しないので、ほぼ一生「目が悪い人」となる。義足や眼鏡を活用して、日常生活を過ごしてゆく。

あるときうつをどこだかの団体が「心の風邪」と喧伝して物議を醸したが、確かに足を失うことや近視になることに比べると、精神的な病は風邪や腹痛に近い。「その日その時のその症状」は○○障害、と医師によって名付けられることはできるが、それは回復しうる。発達障害なども同じだ。私はアスペルガー症候群と言われたくらいなのであんまり空気を読むのには長けていないが、その場その場で適当に周りを見て穏便に対処することはいくらでもできる。落ち込んでいるときはアスペルガー症候群的な症状はとても強く出ていたけれど、今はだいぶマシになっている。「良く」なることも「悪く」なることもあるのだ。

なので、「○○さんはうつ病」「○○さんは発達障害」というのも、正確な表現かというと疑問だ。「うつ病的な症状を今持っている」「発達障害的な傾向を今持っている」のほうが正しいかもしれない。その人も適切な過ごし方をすればうつ病も発達障害も「なおる」し、今健康な誰かも、極度なストレス下に置かれると、うつ病や発達障害になる可能性はあるのだ。

日本語で「障害」というと、身体障碍者・精神障碍者のようなイメージがある。しかし英語で障碍者は handicapped people (ハンディのある人)だ。一方、「発達障害」「不安障害」などの「障害」は、 disorder (不調・混乱)の訳である。一時的に不調となっている、と理解するのが正しいのだ。「私は発達障害だ。一生治らない脳の特性なのだ」と決めつけることは、ある意味では役に立たない。



これらの経験を経て、私は、自分に、そして他人にレッテルを貼るのをやめた。「私こういうところがアスペルガーっぽいな〜」と心当たりがあるとしたとき、アスペルガー症候群の本の対策の部分を参考にすることはあるが、「アスペルガー症候群だから○○はできない。○○はできる」などと決めつけることはない。できるかできないかは、私を、そしてその人を見て判断するしかない。そして苦手なことでも訓練すればできるようになる。わざわざ可能性を狭めることはないのだ。


人類の生活は確実に便利になっている。一方、義務感が強すぎてストレスを抱え込んだり、幸せに守られすぎて自分を守るすべを知らなかったり、その他いろんな理由で心を病んでしまう人は多くて、診断がつくことも以前より確実に増えている。

正しく医療を活用して、自分の特性と向き合いながら、過ごしていきたいものだ。


※ある時から、最後の5%くらいが誤って削除されて読めなくなっており、書き直しました。その間に読んてくださった方々すみませんでした。(2020年10月)

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