「ミステリという勿れ」というドラマを観てみたら、マインドフルネスの話だった
私は数年前、勤めている会社から3か月のお休みをもらって、禅寺へ3か月の瞑想修行をしに行ったことがある。フランス南西部にあるプラムヴィレッジという名のそこは、欧米人に禅の教えを「マインドフルネス」という形で紹介したベトナムの高僧、ティク・ナット・ハン禅師によって建てられたお寺だ。
この3か月の瞑想修行(私はプチ出家と呼んでいる)
については、いつか詳しく書きたいと思っているのだけど、
今日はそれがメインに書きたいわけではないので割愛する。
先週特に何の期待も知識もなく、たまたま観た「ミステリという勿れ」というドラマの面白さに不意を突かれた。この原作者がどこの誰だかまるで知らないが「めちゃくちゃ頭の良い人」であり、かつ「とても『生き方』についてよく勉強をしている人だ」という印象を持った。
そして第二話が放送された今週、原作者がそれを意識しているにしろそうでないにしろ、中身は私が学んできたマインドフルネスの教えと同じだと確信した。以下、一部ネタバレを含むので、純粋にドラマを楽しみたい人は、番組をTVerやFODで観てからもう一度ここに戻ってくることをお勧めする。
さてこのドラマ、主人公の大学生、菅田将暉演じる「整」と書いて「ととのう」氏の言葉が、実に深い洞察(今風に言うとインサイト)に満ちているのだ。
以下に、町工場の事務をしているのに自分はジャーナリストだと嘘をついていた女性との会話の一説を抜粋する。
女)別にいいでしょ、ちょっとくらいかっこつけたって。私はただ、毎日馬鹿みたいにおんなじことの繰り返しでストレス溜まんのよ。嘘くらいつかせてよ。・・・元カレに言われたの、おんなじ職場だったのに。ある日突然「こんな小さな世界でお前らみたいにつまんねえ連中といつまでも馬鹿みたいにやってらんねえ」ってそう言って大陸に行って、何か月もヒッチハイクで旅して、楽しそうな写真まで送りつけてきて。・・・どうせ私はいつまでもバカみたいでみっともないわよ。
整)大陸・・・あのう、よくわからないんですけど、その元カレはいかだでも作って大陸に行ったんですか?
女)そんなわけないでしょう!飛行機に決まってんじゃない!
整)じゃあ、その飛行機を飛ばしたのは誰だと思っているんだろう。その、毎日コツコツ時間を守って働いている人がいるから、バスも飛行機も動くんです。大陸に行ってからも、そういうことをしてくれる人たちがいるからこそ生活できたんです。あなたもその一人で、それ、何が悲しいですか?その元カレが山奥で完全自給自足でやってる人でない限り、話など聞く必要はきっぱりないです。僕は腹立たしいです。まあ、そういう僕は親のすねかじりですけど。
他者に生まれて初めてそういう風に言われて、自分の仕事にプライドを持てず、自己肯定感低く生きてきた彼女の気持ちが癒されていく。自分の仕事には意味があったんだと初めて気づく。
私がプチ出家の中で繰り返し教えられた大事な教えの一つに「inter-being(相互存在)」というのがある。これはティク・ナット・ハン禅師が作った言葉で、例えば、international(国家間の)という英単語はinterとnationalに分解できるわけであるが、このnationalの部分がbeingに置き換わったものだ。すなわち、万物は互いに共存しているということを表している。
雲がなければ、雨はない。雨がなければ、木は育たない。木がなければ、紙は作れない。雲は、紙が存在するために欠かせないのです。もしここに雲がなければ、一枚の紙もここにはない。ゆえに、雲と紙はかかわりあって存在しているということができます。
出典)野草社「ティク・ナット・ハンの般若心経 馬籠久美子訳」
私たちは、私たちを取り巻くすべてのものたちから実は切り離すことはできない。あなたと私の境目は一体どこなのか?あなたの考えが私に影響を及ぼしているとしたら?あなたの考えがもう私の一部になっているとしたら、果たして境目などあるのだろうか。
手に取ったお茶の中に雲が見える。と師は言った。
お茶はお茶、雲は雲、私は私と分断された存在ではない。雲があるから雨が降り、雨が降るから水が湧き、水が湧くからお茶が飲める。そしてそのお茶はひとたび飲めば私の一部になる。ゆえにお茶を飲むあなたと雲もまた、かかわりあって存在している。
つまりだ。整氏が言うように、工場で事務をしている人をつまらないと切り捨て、自分だけがそこから離れて存在することなど、どだい無理なのだ。みんなは自分の一部であり、自分はみんなの一部なのだ。
この気づきは、人生に大きな変化をもたらす。このinter-beingのことだけでもまだまだ深堀して話したいことはたくさんあるのだが、、、
私はプチ出家前、ひどく自己肯定感が低かった。自分で自分を愛することができず、他者にも心を開くことが難しく、人生において数々の失敗をした。そのことでさらに苦しんだりもした。しかしプチ出家して自分自身を深く見つめなおした結果(それはキツイ修行でもあったのだが)、今はストレスを感じることがほとんどなく、幸せ(Well-being)な状態を保てるようになった。
「新感覚ミステリー」と銘打たれたこのドラマは、まったくもって単なる新感覚ミステリーなどではない。他のドラマを全部見ているわけではないので完全なる個人的な見解だが、今クール最も見る意味があるドラマなのかもしれないと思う。それは別にマインドフルネスが何かを知らなくても、観る人の心をほぐすだろう。
漫画が原作のようなので、第一話を見た後に原作のほうも少し読んでみたのだが、よくある「漫画を原作にしたけどドラマ用にだいぶ手を入れました」という感じがまるでなく(非常に完成度の高い原作だったということなのだろう)、非常に忠実な形でドラマで再現されていることが分かった。なので同名の漫画のほうを読んでみるのでもよいと思う。
第一話についても書きたいことが沢山あるが、それはまた別の機会に、時間と気分が乗った時に書こうと思う。自分のプチ出家の経験とともに。