諏訪湖の夜景と星空
「本当なら夏の花火大会のときに来ればよかったんだろうな」「そんなことないわ。花火よりも自然の諏訪湖のほうが好きよ」
普段は小さな農園コスモスファームで、野菜たちを見守っている私だけど、今日と明日お出かけ。
大学院で哲学の研究をしている彼・一郎と、1泊2日のドライブに来ている。
無理して少し遠い長野県まで足を運んだ。昼間の観光は私たちにとって基本的におまけ。
あくまで天体観測が趣味の私たちは夜が本番。今夜は諏訪湖の前に来た。
ここは諏訪湖畔公園である。すぐ目の前が湖。黒い湖面は静かだ。そして遠く地平線上からは対岸の明かり。ちりばめられた宝石のような光として一直線に並んでいる。それぞれ美しく光っていた。
「ちょっと遠かったけど来てよかったわ」「そうか、今日は僕が真理恵を誘ったからな。その言葉を聞いて安心したよ」彼はそうつぶやき、湖面に視線を向けながら胸を張る。
「諏訪湖は確か映画の『君の名は』のモデルになったのよね」
「そう、実はここが聖地と聞いたので、気になったんだ。信州ならもっと高原のほうに行けば、もっと美しい天体が見られたかもしれなかったが、今日は、つき合わせて悪いね」
彼が『君の名は』という作品を気にしていたなんて初めて知ったの。それに聖地をめぐるなんて...... 私はまだ彼のこと、知らないことが多いのかと思った。
「でも本当は諏訪湖より、飛騨古川のほうが聖地と言われているところ多いわよ」
私の反論に彼は首を横に振って否定。
「違う、僕は飛騨云々というか、作品のストーリーは二の次。ただ架空の『ティアマト彗星』が落下した湖のモデルが、諏訪湖というのをこの前知ったから、この目で見たかっただけだ」
意外な彼の答え。「そう、じゃあ作品は?」「見てない」
私は彼の一言に拍子抜けになる。彼と知り合う前に作品を見ている私としては、当然彼も作品を見て感動を共有したいという気持ちがあった。だから少し拍子抜け。
「悪いが作品はどちらでも良いんだ。だけど天体が絡むと、やっぱり気になる」
私は次の言葉が思い浮かばない。だけど彼はさっそく次の行動に出た。「じゃあ行こうか、一望できる立石公園に」
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立石公園は私たちがいる諏訪湖畔公園からすぐ。中央本線を越えて、曲がりくねった旧甲州街道を登って行けば到達できる。
「ひょっとして、諏訪湖も彗星が落下してできたのかしら」移動中に車を運転している彼に、助手席から質問した。
「それは、違うようだ。諏訪湖は隆起活動と断層運動によって、地殻が引き裂かれてできた湖らしい。
彗星というか隕石落下でできたクレーターの湖なら、日本では無く、カナダにあるピングアルク湖だろうな」
「ピングアルク湖?」私は効いたこともないキーワードを聞き返した。
「そう、直系100から300メートルくらいの隕石が秒速15から25キロで落ちたそうだ」「秒速! 時速に換算したら」
「5万4000から9万キロ。音速より早いぞ。地球に衝突して直径3.5キロメートルの穴が開いたんだって。そこに透明度の高い水がたまったらしい。深さが400メートルくらいだったかな」
「じゃあもしそんなのが日本に落ちたら......」私は想像するだけで鳥肌が立つ。
「ああ、とんでもないことになるだろうな。今だったら桁違いの死者が出るんじゃないか。そうか、ということはカナダのが本当の糸守湖かもな。お、ついたぞ」
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私たちは車を止めて展望台から諏訪湖を眺めた。周りが小さな宝石のような照明で縁取られているから、黒い湖の輪郭がはっきりわかる。
「やっぱり高いところから見ると美しいわ」「ああ、創作の世界とは言え、隕石が落下してできた湖と信じたら、それはそれでロマンあるな」
彼は嬉しそうに湖を眺めている。「諏訪湖は一番深いところでも7メートルくらいしかないそうだ。これが数百メートルあればもっとリアリティがあるなんて思ってしまうよ」
「本当ね。きゃ」ここで強い風が吹く。私は会話を中断して顔を下に向けた。「もう、急に強い風。けど来てよかった。でも、やっぱりこれだけ光が強いから天体観測にはマイナスね」
私は顔を上げて星空を見る。やっぱり眼下の照明が邪魔をしているのか、ほとんど雲が無いのに、星空が少し見えにくい気がした。
「何を言っている。だから」彼はそのまま車に戻って後部座席に向かう。すぐに戻ってきたとき、両手に抱えていたのは望遠鏡。
「これを持って来たんじゃないか」「そ、そっか」
「よし今からは天体を観測しよう」彼はさっそく望遠鏡をセッティングした。
「彗星とか見られるかなあ」私は妄想を膨らませながら、望遠鏡から天体を眺めてみる。
「どうだろう、そんな予定はなかったと思うが」彼はスマホを取り出し、この日の天体で見られるものをチェックしていた。
「今日は水星が外合だ」
「外合ってたしか、太陽と同じ位置のこと」
「そう、水星と金星のように地球より内側にある惑星が、太陽と同じ位置に来るときに使う言葉だ。内合は太陽との間だが、外合は太陽のちょうど裏側だな」
「じゃあ絶対見られないじゃん」
「そういうことだ。太陽の裏側だしね。ただ88日くらいで太陽の周りを一周する水星の公転は速いから、すぐに太陽の裏側から抜け出してまた望遠鏡から見えるんじゃないかな」
彼は天体の予定を確認するときはいつも楽しそう。私はそれよりレンズ越しから見える星空。それを眺めているだけで十分なの。これは湖を囲むように眼下に広がる人工的な宝石の光よりも弱い。だけどはるかに奥行きがあって、眺めてたらそのまま吸い込まれそうに気がするわ。
「あと面白いのは、木星の衛星カリストの影にイオが入る。でその後がイオの影にガニメデが入るんだ。あ、それから今度はカリストの影にガニメデが入るのか」
「なにそれ? ちょっと頭が混乱する」
「木星の衛星なんて期待しなくてもいい。だけど残念ながら流星とかの情報はなさそうだ」
「そうよね。そんなうまくいくわけないか」私は少しがっかりした。ところが、一瞬目の前を何かが流れた気がする。「え! 流れ星」
「何? 本当か」彼は慌てて私から望遠鏡を奪い取った。
彼はしばらく眺めていたがやがて肩を落とし
「ああ、間に合わなかったかな」と残念そう。「ごめん、気のせいかも」私は彼に悪い気がした。
「気にするな。そんな流星、予定にもなかったことだし。さて、明日はいよいよ国立天文台のある野辺山がある。そこで公開されている45m電波望遠鏡、太陽電波強度偏波計を見るのが楽しみだ」
「そうね。明日も楽しみ。でもゴメン。私今夜星空をもう少し見たいわ」
今度は私が彼から望遠鏡を奪い取り、再び望遠鏡のレンズから星空を眺めるのだった。
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シリーズ 日々掌編短編小説 455/1000
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