くま読書 根っからの悪人っているの?
「世の中には悪人っていると思いますか?」
自分がこのように質問されたら
皆さんはどのように答えますか?
きっと人によってさまざまな答えがでてくるに違いありません。
まわりにいるよって人もいるかもしれないし
世界で戦争を起こす奴は悪人だという人もいるかもしれません。
悪人なんていませんって人もいるだろうし
もしかして、私自身が悪人です
という人もいるかもしれない。
私は人間の「悪」というものが昨年からずっと気になっていました。
なので、この本を以前拝読しました。
この本は知人が貸してくださいました。
何回か読んでいて、この本は考え中なのです。
私は本を読んでからずっと考え込んでいたい性質があります。難しいテーマほど、簡単に結論づけたくないなという変なこだわりもあります。
内容としては以下の部分が気になりました。
しかし、まだまださまざまな考えにふれる必要があるな…と感じていた時に、この本のタイトルに目を奪われ、思わず購入してしまいました。
この「プリズンサークル」という映画を視聴していないので、いずれ観てみたいなと思ってはいるのですが
本を読んだ感想をいくつか書いていきたいと思います。
1.感情がわからないこと
著者と10代の若者たちは映画「プリズンサークル」を観て、思ったことを思い思いに話していきます。
その中で
エモーションリテラシー(感識)
ということばがでてきます。
アミティ(アメリカの有名なセラピューティック・コミュニティ、セラピューティック・コミュニティは以下TCと略す)では、犯罪を犯した人や薬物依存症などの方は「感情とうまくつきあえない」ということが問題行動の原因の一つと考えていて、感情を感じられないことや、何かを感じないために無理やり他の感情に置き換えたりすることを「感盲」と呼んでいるそうです。
さみしい
こっちをむいてほしい
無視しないで
という気持ちがうまく感じられず
ネガティブになり
攻撃的になってしまう。
そして暴力になり
犯罪に発展してしまうこともある。
TCでは、この感情を動かすようにお互いに対話をしたり、内省したりします。刑務所でこのプログラムを受けた障害致死の罪状を償ってきた翔さん(仮名)は「感情の筋肉」という話をされています。
翔さんはひとりっ子で母親は未婚のシングルマザーでした。3〜4歳の頃から夜はずっとひとりぼっちで鍵っ子で、徐々に暴力が身近な世界で過ごすようになってきます。ある日、自分の友人の娘に悪さをした男の子がいて、自身が正義と思い彼を殴って死なせてしまいました。
彼は、この幼少期の「さみしい」という感情をプログラムの中で取り戻していきます。
この話を読んで、私はNVCについて思い出していました。
NVC(Nonviolent Communication=非暴力コミュニケーション)とは
コミュニケーションにおいて相手とのつながりを持ち続けながら、お互いのニーズが満たされるまで話し合いを続けていくという、共感を持って臨むコミュニケーションの方法です。
1970年代に、アメリカの臨床心理学者マーシャル・B・ローゼンバーグ博士によって体系化され、提唱されたものです。
NVCでは「自分の感情に焦点を当てて伝える」ことを大事にしています。
たとえば
自分が学校の教員だった場合に、クラスの児童たちの騒がしい様子に対して
「静かにしろ!」
と怒鳴るようなコミュニケーションは、暴力ととらえます。
そうではなくて
「今あなたたちが話していると、目の前の課題に取り組めなくて、先生は不安を感じてるのです」と自分がどのような感情を抱いているのかを表出させ、それを俯瞰的に自分自身も見つめるところからNVCはスタートさせるそうです。
(この本を持っているのですが、まだちゃんと読んでいないため、私も理解が不十分ではあるのです。関心のある方は読んでみてください)
感情を自分で感じること
そして、それを安全に表現できること
は、暴力から自分を遠ざけるためにも必要であるのかもしれないと私は読んでいて感じました。
2.わかりあうこと
この翔さんのさみしさは
聞いている10代の子たちは
「僕たち私たちの生活の中でリンクしているところもある」と話し始めます。
ここで登場する10代の子たちと犯罪に手を染めてしまった子たちの違いは、10代の子たちは愛情が感じられて、安心して暮らせる家族に恵まれていることというのが対話の中で浮き彫りになりました。
わかりあうについて....ある一人の子が話し始めます。
その前に「わかりたい!」と思えるかが、鍵だと言い出す子、そのためには「自分と違う人を排除する」という考えをなくせればいいのでは...と述べる子。みんなそれぞれの対話をすすめていきます。
分断や排除は「相手を意識しなくて良くなる」のである意味簡単です。
そして、時には自分が壊れてしまわないように、そのようにすることも必要になります。
けれども、この子たちが話すように、隙間が...余裕がある人が「招きあう」ような働きを経ていくこと。
なつねさんという子が話しているこのことばが
私は好きです。
そうだなぁと思いました。
私も含め、みんな違いに出会う経験を安全に重ねられるといいのかなぁと思いました。
3.揺れていい
この本の後半では、2000年5月に起こった西鉄バスジャック事件の被害者である山口さんの語りを聴いて、被害者と加害者の関わりについて、10代の子たちはまた対話をしていきます。
その中で自分は加害者になることも、被害者になることもあるから、日常の中で「自分の言葉で言える」ってことを大切にしたいとある子が話していて、そうだなと感じました。
被害者の山口さんが
語りかける
語りかけられる
何かを反応をもらって揺れてもいい
揺れの幅が広がったりする
揺れなくてもいい
と話されていたのが印象的です。
それはやさしい気持ちだけでなくて攻撃的な気持ちもそうで、些細なことで崩れ落ちてしまいそうになる時に、感情が暴れ出す前に
やわらかいもの
にふれるように
ただ聞いてくれる存在や
横にいる存在がいることがきっと
悪しき方向へ立ち止まる力になるのではと
やさしくことばを皆さんで紡がれていたのが
印象に残りました。
4.結局、悪人は?
私はこの本を読んで
「悪人」は今までと変わらずいないと思いました。
でも悪はあるとは思っています。
誰の中にも悪はあって
誰の中にも光はあると思います。
根本的には、人は皆悪しきものを宿しながら生きているのではないかと、思う時もあるのです。
この本を読んでみてあらためて感じたこと。
人は加害者になるまでは、被害者として生きてきた過去や孤立や絶望が重なって、安心して生きる居場所をなくしているかもしれないこと。
そして自身の感情に気づかずに思いを表出されることなく、それが暴力として生み出されてしまう可能性があることに、気づけたら。
わかりあわなくても
まずは違いに出会うことでいいのだと思います。
この本を読んで終わりにすることもなく、また悪については私は考えていきたいと思います。
ここまで読んで頂いた方、ありがとうございました。
久しぶりの【くま読書】でした。