誰にだって物語を語り、作り出すことは許されている
作家の燃え殻さんの「BEFORE DAWN」というラジオを毎週聴いている。
彼のラジオの後半で、リスナーから寄せられたメッセージを紹介するコーナーがある。
先日の投稿の中で、私の心に残ったやり取りがあった。具体的な細かい内容は忘れてしまったが、こんな内容だったと思う。
燃え殻さんはこのように答えていた。
また、最近葉々社で購入し、拝読した「読む力・聴く力」という本のなかで気になった箇所を紹介する。
上記は立花隆さんが述べている内容だ。
それに対して谷川俊太郎さんはこのように返している。
谷川さんの書いたものは、先日書いた「ことばにならないものを〜」の記事とも重なる内容だが、私は両者のどちらがいいとか悪いとか、そういうことを思ったりはしない。
どちらもいいと思っている。
この2つの話から思ったことは、タイトルの通りである。
誰にだって物語を語り、作り出すことは許されているはずだ。
その人にしか書けないことある。
その人にしか語れないことがある。
その人にしか感じられないものがある。
その人にしか抱けない気持ちがある。
それを軽んじることは何人たりとも許されないはずだ。
波瀾万丈の人生。
苦労続きの毎日。
ありえないほどの劣悪な生活環境。
命も絶え絶えながらなんとか生きている日々。
または他者が羨望するような恵まれた生活。
憧れの地位。
幸運続きのお祭りのような毎日。
めずらしく貴重な体験をしないと
物語を書いてはいけないのだろうか。
たくさんの本や知識を学ばないと
生み出せないものばかりなのか。
私は平凡な毎日を過ごしている。
驚くようなエピソードが毎日起こるわけでもない、不幸な家庭環境で育ったわけでもない。
ごくありふれた1人の人間だ。
食べ物の中でれんこんが好きだ。
先日もれんこんを塩で炒めて、青のりをふりかけたものを大量に作って、喜んで食べ続けていた。
イメージとしてはれんこんの穴。
人によってはそれがドーナツでもなんでもいいが、私はれんこんにする。
私はこのせまい穴からしか
きっと、物事を見ていない。
私の持っているれんこんからのぞいた世界を、私は感じてことばにしている。
それを自覚しておくことは大切だと思う。世界の全てを見通せているなんて思っちゃいない。自分の力では穴からしか、私は世界を見ることができない。
と、同時に、そのれんこんはおそらく、私独自の切り口の穴であることを大事にしたい。
他の人の穴と違うはずだ。
他の人の物語にふれるとそれはよくわかる。
同じ穴を見ていても、全然違う切り口の穴を見ている。それがいいのだと思う。そして「あなたの切り口の穴から見える世界」を私は教えてほしいと思う。
あなたにしか語れないこと。
私にしか語れないこと。
私は、なるべく
同時に大切にしていきたいと思う。
ことばにするのが怖い人は
おそれず、安心して語る場所を
いつの日か見つけてほしいと願う。