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評価の原点(水澤 靖子 さんの記事に触発されて)
はじめに、事前に水澤さんのご了解はいただいておらず、したがって、私の一方的な理解に基づく記事であることをお断りしておきます。
私は企業の人事部門を経て企業人向けの教育研修に従事してきた人間です。その私が、子どもたちの義務教育に携わってこられた 水澤 靖子さんの記事に触れ、企業内での評価に通ずる重要テーマが述べられていると感じました。この記事に触発されて自分の考えを整理した内容をここに記します。
水澤さんの記事はこちらです:
あくまで、企業内での人事評価、企業人の育成という観点から共感した部分、ヒントをいただいた部分について述べていきます。
1.絶対評価の重要性
記事を拝読して、水澤さんは、通知表(少なくとも既存のスタイルの)が、子どもの本来の成長を助けるものなのかという疑問を提起していらっしゃるのだと理解しました。
一方で、水澤さんは評価すること自体には意義があるとおっしゃっています。引用します。
評価自体は教育にとって
ある意味とても大事なものです。
そのわけは、指導と評価は表裏一体で
指導計画がしっかりと練られて
評価の観点と目標がきっちり定まれば
教師は自ずと評価目標に照らした
子どもの姿を目指すことになり
その結果指導が効果的に働く上
具体的にどう支援するかも
明確になるからです。
これを企業内の従業員評価に置き換えて考えた時、私は、水澤さんのお考えに100パーセント賛同します。評価が ”評価のための評価" であってはなりません。評価は、従業員の成長を助けるための手段です。
もうひとつ、強調しておきたいことがあります。それは、ここで水澤さんがおっしゃっている評価を企業内の従業員評価に置き換えると、《個々の従業員の成長を、他の従業員と比較せずに評価する絶対評価》にあたるということです。
水澤さんの記事のその後の展開から推し量るに、水澤さんも、ここでは絶対評価を念頭に置いていらっしゃるのだと思います。
ただ、企業には企業特有の事情があるので、それについて補足しておきます。企業が評価するのは、従業員個人に《帰属する諸々》のうち、企業目標の達成に寄与する要因です。
《諸々》とあいまいな言い方にしているのは、具体的に何を評価するかについて、ザックリ言って次の2つの考え方があり、どちらが正解と決まってはいないからです。
*外部から観察できる行動だけを評価する
*外部には必ずしも現れない素質や適性も含めて評価する
私は個人的には《行動だけ評価》派ですが、重要ポストへの選抜を考えると、そうも言っていられない事情があることに、こちらの記事で触れました。
2.相対評価を要請する現実の制約
絶対評価が重要と述べました。しかし、現実の私たちは、つねに他者と比べられ、多くの場面で他者と競わされてすらいます。つまり、相対評価されています。それは、なぜでしょう?
水澤さんは、次のようにおっしゃいます。
一方で、中学校では
出口に受験があるために
どうしても受験のための
受験がからんだ評価になってしまう。
つまり、必然的に順位や振り分けを
意識した評価にならざるを得ない。
この表現を、私は、次のように理解しました
※既存の限られた高校の中から生徒さんの受験先を選ぶので、順位や振り分けを意識した評価にならざるを得ない
裏返して言うと、
※既存の高校を受験先として生徒さん一人ひとりに配分するので、順位や振り分けを意識した評価にならざるを得ない。
順位や振り分けを意識した評価とは、企業でいえば相対評価です。
企業において既存の高校にあたるのが、給与財源とポストの制約です。従業員ひとりひとりを絶対評価したとしても、それを給与支払いと上位ポストへの選抜に結びつけようとすると、相対評価に転換せざるを得なくなります。
なぜなら、給与財源もポストの数も、少なくとも短期的には固定だからです。つまり、給与決定と上位ポストへの選抜は、決まった大きさのパイの切り分けなのです。
では、評価と給与、評価と選抜を切り離したらどうかという意見も予想されます。しかし、そうしたとしても、給与支払いと選抜について何らかの基準が必要であることは変わりません。そして、給与総額と選抜枠が決まっている限り、その基準は相対評価的なものにならざるを得ないでしょう。
そうであれば、日常の業務に密着した評価を基準にするのが最も理に適っていると私は考えています。
3.それでも絶対評価が大事
上述のような現実の制約があっても、依然として、絶対評価が大切だと私は考えています。水澤さんの次のお言葉は、「通知表」を「上司による評価」に置き換えると、評価のあるべき形を示していると考えます。
子どもにとって
良い通知表とは
一人ひとりが
自分の足跡を見て
自ら未来をより良く
変えていく
切り拓いていくための
ビジョンが
どの子にも
自分なりに描ける
羅針盤や発展途中の地図。
未来への切符や
パスポート。
それが真の
教育的評価であると
わたしは感じます。
4. 企業内の絶対評価と相対評価、どう折り合いをつけるか
最後に、相反する要素をもった絶対評価と相対評価を、企業内でどう折り合いをつけるかについて、私なりの考えを述べておきたいと思います。
私は、次の2つの形でしか折り合いはつかないと思っています。
(1)個々の従業員が成長することで企業の業績が向上し、それが給与財源を押し上げる
(2)従業員一人ひとりが自らの成長を自ら評価し、自己肯定感を持ち続ける
(1)は、従業員の間の総体的な序列は変わらなくても、全体として給与財源が増えることで個々の従業員の取り分が増えるという意味です。
(2)は、心もとなく聞こえるかもしれません。ですが、私は、他者と比べてあぁだこぅだと評価されることがあまりに多い世間を心身ともに健康で生き抜く上で、《評価は他人次第、納得は自分次第》という割り切りがとても大切だと、本気で考えています。
はじめに「頭を整理する機会になった」と書きました。ですが、書き終えたものを読み直すと、あまり整理されている気がしません。思いのたけを吐露したという感じです。それはそれでよいと思いますが、大事なテーマなので、いつか、もう少し理性的に整理した記事も書きたいと思います。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。