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せかいに溶けていく過程『そらまでのすべての名前』

今回は張文經の『そらまでのすべての名前』を紹介する。

私はタイトルに惹かれてすぐにこの詩集を購入した。そらまでのすべての名前、そらまでのすべての名前、これより惹かれるタイトルに出会ったことがない。そして今、一番好きな詩集かもしれない。
作品の一部を紹介する。

そのひとの胸に耳をおしあてると
とおい森がきこえた
枝葉がかぜをなでて、ひかりを喰らっていた
その森は
かつてくちにした言葉たちの堆積だった

そのひとの寝室に
じかんが、見えない雪として
温かく積もった
ように

『そらまでのすべての名前』「そのひとの呼吸」一部(p.2)

呼吸から聞き取ったとおい森が広がり、ここからさらに展開していく。まず呼吸から森を聞くという発見が魅力的である。
この詩集は、特別に目を引く詩がある、というよりはすべての詩が同じ息づかいで書かれているという印象を受けた。言葉がテーマのひとつとして表れている詩も多く、言葉や言葉の表現への探究心を感じる。

食べるたびに
からだは大きく、身体になり
食した動植物に近づき
せかい、にちかづき
かんがえごとは ぼく、になった
いいよ、とはじめて
ひとの言葉をはなした とき
もってきたさいごのことば
くうきにとけ
みえない小さな生き物
たちに
食されていった
その日
そらは海に似ていった

『そらまでのすべての名前』「にているものたち」一部(p.56-57)

この詩が一番好きだ。この詩集では世界に近づいていく感覚や溶けていく感覚がよく書かれている。空にふわーと浮いていくようなゆるやかな夢を見ているときの心地になる。そのまま空を通り抜けて溶けてしまいたい、とも思ってしまう。「からだは大きく、身体になり」など漢字の使い方も独特だがどういうことなのかは受け取れたと思う。

雪みたいに、何もないね
ぼくの名前が死んでしまったなら
きみのさいごの名前が
な、ま、え になってばらばらにふるだろう、
いなくなれないよ ときみが言っても
かつてのぼくたち、きみたちに
降り積もって
雪みたいに、かすかに
あたたかければいい

『そらまでのすべての名前』「ふらない日にも」一部(p.83)

詩集の中で詩と別の詩が繋がっているところも多く見られた。
深い悲しみを感じるけれど激しさは感じない。激しいものを通り越してしまったのかあるいはそこに行き着くことができなかったのか。でも私もその感覚を知っているような気がする。他にも素敵な詩がたくさんあるので、ぜひ手に取って読んでみてほしい。

最後まで読んでくださりありがとうございました。
次回は私と詩との出会いについて書きます。

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