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交渉は相手を理解するところから始まる(『韓非子』説難篇)
今回取り上げるのは『韓非子』説難篇からの言葉。
説の難きは、説く所の心を知りて、吾が説を以て之れに当つべきに在り
(読み:ゼイのカタきは、トくトコロのココロをシりて、ワがゼイをモッてコれにアつべきにアり)
説明することの難しさとは、相手の心を知って、それに合うように説明することにあるのだ、という意味。
誰かに説明する際の難しさについて語った言葉です。
つまり、相手のことを考えずに説明しても、相手の心には響かない、ということですね。
韓非子が活躍したのは戦国時代です。
戦国というと直接武器を交えて戦ってばかりのように思われるかもしれませんが、実際には外交交渉によって問題を解決または回避することも多くありました。
戦争は人命とお金がかかるので、君主側としても積極的にはやりたくないものです。
そんなときにこちら側にメリットのある提案をされ、しかもそこに大義名分や道理があれば、それに従うのも当然というもの。
戦国時代の君主は意外と理性的なのです。
しかし、いくら正式な外交とはいえ、敵地の真っ只中に行くわけですから、交渉には命の危険も伴います。
交渉が決裂すれば自国の存亡に関わるだけでなく、その場で捕縛されたり、切り伏せられる可能性もあるため、その責任の重さは想像を絶するものです。
しかし、そんな重要な交渉ごとを専門にする人々もいました。
交渉人としては、合従連衡を説いた蘇秦と張儀が有名ですよね。
彼らは交渉のプロとして敵地に乗り込み、己の口先三寸で敵国の君主を説き伏せて、平和的に問題を解決するのです。
圧倒的にプレッシャーのかかる状況にも関わらず、堂々と、かつ涼しげに、理路整然とお互いにメリットのある提案を行う様には、感動すら覚えます。
蘇秦と張儀以外にも外交交渉で活躍した人は数多くいますので、いつかそういったエピソードもご紹介したいところです。
さて、そんな交渉人、いわゆる遊説家にとって大事なのは、以下に相手を説き伏せるかということです。
韓非子は自身の経験から、相手に納得してもらうことの難しさを痛いほど理解していました。
というのも、韓非子は秦に士官する前、母国の韓の国王に何度も提案を行い、結局一度も採用されることがなかったからです。
当時の韓は隣国の秦に押されて国力が大きく衰退していました。
滅亡寸前の状況にも関わらず、韓王は怠惰で何もしません。
そんな状況を憂えた韓非子は韓王を諫めたのですが、全く取り合ってもらえませんでした。
そこで憤慨して書いた章の一つが、この説難篇です。
おそらく、韓非子はこのように考えたのではないでしょうか。
正しいことを言っても、相手が受け入れてくれるとは限らない
大事なのは、相手の考えを理解して、それを踏まえて論理を展開することだ
「説く所の心を知りて」という箇所からは、韓王の心を理解して提案することができなかった、という韓非子の悔しさを感じてしまいます。
余談ですが、これらの書を知った秦王政(のちの始皇帝)は猛烈に感動し、のちに韓非子を採用することになります。
韓非子自身は周囲の讒言が原因で亡くなるのですが、彼が残した著作は秦の天下統一を支える屋台骨となるのです。
母国を救うために書いた書が敵国の君主に評価され、秦の天下統一の礎となってしまうのはなんだか皮肉ですよね…。
説の難きは、説く所の心を知りて、吾が説を以て之れに当つべきに在り
(読み:ゼイのカタきは、トくトコロのココロをシりて、ワがゼイをモッてコれにアつべきにアり)
説明することの難しさとは、相手の心を知って、それに合うように説明することにあるのだ、という言葉をご紹介しました。
プレゼンや提案の仕方には色々とコツやテクニックがありますが、スキル的な部分は場数を踏んでいくうちに自然と磨かれていくものだと思います。
それよりもまずは、
相手の考えや気持ちを理解してそれに寄り添った形で提案できているか、
ということを大事にしてみてはいかがでしょうか?
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![凪平コウ@古典・歴史愛好家](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/149833019/profile_b31cd809fa88fc796010c1f8457e83cd.jpg?width=600&crop=1:1,smart)