妃がお祀りした建部大社 倭建命五八 神話は今も生きている ことの葉綴り五八七
寒露+大安吉日+平、秋のお参りへ
おはようございます。昨夜の地震、強い揺れでしたね。皆さん、大丈夫でしたか? 余震にも気をつけたいですね。
さて、今日は、二十四節気の「寒露」
秋分からもう半月。朝夕の冷えが増していくころ。草や葉の露も、初秋のプルンとした露とは違って、また冷たそうな露になり、一段と秋が深まる季節の節目です。
十月八日(金)の暦も、六曜は、万事によい大吉の「大安吉日」。
十二直は、物事が平らかになり平等円満になる「平」。
二十八宿、「婁」で、縁談や婚礼、相談ごと、契約、旅行、引っ越しに吉。
もう、これは、秋のお参り日和です!!!
皆さま、地元の氏神さまへお参りいかがでしょう?
私も朝のお参り、行って参りま~す。皆さま、佳日でありますように!
倭建命さまの系譜
悲劇の英雄神、倭建命(日本武尊)さま。第十二代景行天皇の皇子だった倭建命さまには、七柱のお后(妃)さまがいました。
系譜のご紹介の三回目です。
漢字が多いですが、また、ひ孫と父の天皇のお妃になったりと、ややこしいこともあるのですが、宜しくお願い致します(苦笑)
倭建命(日本武尊)さまの、これまでの物語は、こちらをご覧ください。
<ことの葉綴り>全体のご案内
この「言の葉綴り」は、神話の物語を神さまごとに「マガジン」に分けて、すべて読めるようになっています。
「神さまも“失敗して成長した”」と、魅力的な神さまごとに18のマガジンに分かれています。
子孫に遣隋使・遣唐使の外交官も
倭建命(日本武尊)さま、一人目のお后は、十一代垂仁天皇の娘石衝毘賣命さま。
御子の帶中津日子命さまは、後世の物語に登場されます。
二人目のお后さまは、海の神の祟りを鎮めるために入水され、夫である、倭建命さまの命を救われた弟橘比賣命《おとたちばなひめのみこと》さまです。
若建王というお子さまがおり、前回は、その系譜をご紹介しました。
この若建王の孫である、迦具漏比賣命(訶具漏比賣命)さまは、
倭建命さまの父、景行天皇さまの妃になられました。
三人目のお妃は、布多遲比賣命さま。
この妃の父は、淡海(近江)の安國造(地域長官)の祖である、意富多牟和氣。
その御子には、稲依別王がいらして、こちらは、犬上君(氏)……現在の滋賀県犬上郡や彦根の豪族の祖と、なられます。この子孫には、飛鳥時代に、最後の遣隋使と、最初の遣唐使となり、外交面で活躍された犬上君御田鋤がいるようです。
また、建部君の祖先にもなられます。
皇子を偲び「建部」の名を
倭建命(日本武尊)さまが、亡くなられた後のことです。
父の景行天皇さまは、皇子の若い死をたいそう悲しみ嘆かれました。
このお妃の布多遲比賣命さまと、御子の稲依別王さまがお暮らしになっていたところを、「建部」という、皇子の名をおつけになり、その功名を称えられました。これが今にも続く「建部」の起源です。
妃と御子が、倭建命様をお祀りした建部神社
さらに、景行天皇四六年。
神さまのご神勅(おつげ)により、妃の布多遲比賣命さまと御子の、稲依別王さまは、倭建命(日本武尊)さまのご神霊を、お住まいになっていたところ(近江国神前郡建部郷千草岳)に、お祀りになられたました。それが、今にも続く、近江国の一之宮「建部大社」さんなんですって!
もちろんご祭神は、日本武尊(倭建命)さまです。開運・出世・必勝・厄除け・災難除けのご神徳があるそうです。
もう一柱、大己貴命さまもご祭神です。
ご神徳は、縁結び、商売繁盛、家内安全、病気平癒、医薬醸造。
ご存じない? 聞いたことない、神さま?
いえいえ、超有名な神さまです。
大国主神さまの別のお名前です。大国主神さまの物語も、とってもおもしろいので、ぜひ、ご覧くださいね。
その後、天武天皇の御代、白鳳四年(675年)に、現在地、滋賀県大津市神領にお遷りになったそうです。
歴代の朝廷からの尊敬が熱く、また源頼朝はじめ武将たちの崇敬も受けたそうです。そうですよね。
倭建命(日本武尊)さまは、十六歳で熊曾を討ち、東国を平定された、英雄神さまですもんね。
そしてお妃さま、御子さまが、夫と父をお祀りする!って、やはり、とても愛されていたのを感じますね。
と、父の景行天皇さまの、偲ぶ心も感じますよね。
建部大社さま……。
倭建命(日本武尊)さまや、お妃、御子、父の愛を感じにお参りしたいですね!!!
また、お参りしたいお宮が増えてしまいました(^^)
では、また次回! まだ系譜は続きます。朝日に手を伸ばしてみた!(^^)皆さんに、この光が届きますように!いつもありがとうございます。感謝。
―次回へ
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