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私たちは、お客様になりたがる。でも、お客様マインドは、成長のじゃまになる。 「お客様マインド」を「作り手マインド」にすることが、成長するためにも、毎日を温かく過ごすためにも大切だ。 お客様にならない人なんていない。レストランに入れば、美容院に行けば、お客様として、もてなされる。 そのレストランの店員さんも、美容師さんも、仕事をしていないときはどこかでお客様になる。だから、みんな、お客様なのだ。 お客様って聞くと、偉そうな感じがする。そして実際に、お客様はえらい。 も
頑張りたいのに、頑張れないというのは、わがままでもなんでもない。 やる気がないわけでもない。 「しなければ。」と頭でわかっていても、それを実際に行動するには、習慣にするには、別の力が必要なのだ。 そうでなければ、ダイエット器具やジムが、こんなに流行るはずがない。 ではその「別の力」とはなんなのか。今回は三つに分けてみた。 ・がんばる理由 ・周りのサポート ・頑張らざるを得ない状況 これらは、全部同じくらい必要というわけではない。どれか一つで十分頑張れるという場
焦りは、ひっそりと心を侵食する。 焦っても、いいことは基本ない。 ただ、いつもより多くミスをするだけだ。 冷静な判断ができなくなったり、周りの声が聞こえなくなったりもする。 避難訓練の合言葉も、「おさない、かけない、しゃべらない」だった。これは言い換えると、焦らず、先生の指示を聞けという教えだ。 だから私はいつも、なるべく焦らず、気持ちにゆとりをもつように意識している。 何か緊急事態が起きたときは、焦っていることに気が付きやすい。 想定外のハプニングが起きた
何かを極めるのは、難しい。それは、90点の壁があるからなんじゃないかなと思った。 90点と100点って、はたから見たらほとんど一緒に見える。本人にだって、そう見える。 だけど実際は、30点を70点にするよりも、70点を90点にする方が、90点を100点にする方が、難しい。こんなグラフのイメージ。 でも、一緒に見えるから、他の人に努力を評価してもらいずらいし、自分としても成長が感じられなくて、努力を続けるのが辛くなる。 90点にやっと辿り着いたと思ったら、88点に戻るこ
結果を求めて頑張るほど、結果がどうでもよくなる。 哲学の論文を書くのに、とても時間と労力を費やした。 たった2ページや5ページだけれど、きちんと資料を理解していないと間違ったことを書いてしまうので、何度もなんども読み直して、全体の流れを理解しようとした。 授業のノートや過去に読んだ論文を引っ張り出してきて、知識を総動員してテーマについてのベストな自分の答えを出そうとした。 まず完璧なアウトラインを作って、論文の流れを決める。 そのあとは資料を行ったり来たりして、自分
生まれたときからつよい人なんていない。 なぜなら、つよさとは自分を変えることだから。 感情に従って生きている人は、頭で何かを決めて実行することができない。 大切なことだとわかっていても、そのときの感情に負けて、すぐに逃げたりやめたりしてしまう。 そんな人は、考えて着々と計画を進める人につよさを感じるだろう。 一方で、考えることを習慣にしてきた人は、気持ちに従う、気持ちを表現することができない。 自分が楽しくなければ意味がないとわかっていても、周りの目や未来のことが
大人になってから出会う人のほとんどは、完成された人たちだ。 一緒に成長した小学校や中学校の友達と違って、もうすでにたくさんの経験と成長を重ねて「わたし」が出来上がった状態の人たち。 お説教をしているお母さんにも、反抗期真っ只中の高校生だった時代があった。 私には名前すら聞き取れない哲学者の考えを説明しているおじいちゃん教授にも、締め切りギリギリまで宿題をサボって徹夜した大学生時代があった。 それは理解はできるのだけれど、どうも想像ができない。同じ立場の同期や友達ならま
え、ずるい。 あなたばっかり心配されて。 あなたばっかりひいきされて。 あなたばっかり得して。 そんなふうに思ったときは、自分について知るチャンスだ。 ずるいというちょっとドロドロした感情には、いろいろなものが混ざっている。嫉妬だったり、理想の自分だったり、嫌いな今の自分だったり。 それをしっかりと分析して分けることで、ドロドロとした感情は、キラキラした自分へのコンパスになる。 まず、「何が」ずるいと思うのかを考える。 たとえば、大げさに褒めることでサッカー部
楽しく頑張れるときと、いくら頑張っても辛いときの違いは、「できそう」と「できるようになりたい」があるかどうかだ。 最近、いろいろ頑張っているのに、スッキリしなかった。 力不足を実感することが立て続けに起きて、それを改善したいと思うのに、改善したところで何も変わらないのではないかと思う自分もいた。 その原因は、「できない」だけが溢れて、「できそう」と「できるようになりたい」が欠けていたからだった。 できないは、簡単に見つかる「できそうで出来ないもの、でもできるようになり
昔の私は、「あの人になりたい」とよく思っていた。 最近の私は、「あの人みたいになりたい」と思うようになった。 ほとんど一緒に聞こえるけれど、「みたいに」の四文字に、私の成長が隠れている。 中高生の頃抱いていた「あの人になりたい」という思いは、クラスの可愛いとチヤホヤされている子や、運動ができるバスケ部のエースの子への憧れだった。 彼女たちのポジション、映画でいう役柄そのものをうらやみ、それが欲しいと願った。 最近抱く「あの人みたいになりたい」は、自分に自信を持って堂
気が向いたときに書こうと決めた日記は、高校一年生の頃から五年間書き続けている。 1日に数回書くことすらあるし、2週間何も書かない時もある。 一方で、同じ時期に始めた、その日の嬉しかったことを綴る「良いこと日記」は、1ヶ月も続かなかった。 土曜の午前中に洗濯と掃除を終わらせるという決まりは、アメリカの大学に入学してから一年半続いている。 週二回ジムに行くという決まりは、今学期になってからほとんど守っていない。 世の中に溢れるビジネス本には、努力をして習慣にすべき行動に
いいことがあったら、悪いことがある。 気がついたらそんな風に思うようになっていた。 友達から、恋の相談を受ける。 「昨日は一緒に勉強できた。距離が縮まった気がする。一緒にライブに行くことにもなった。」 そんな時私たちは、期待しすぎるなと自分に言い聞かせる。 相手も自分に気があるかもしれない。 そう思った瞬間に、自分以外の誰かと楽しく話す相手を見て、特別な友人ですらない自分を嫌いになるからだ。 楽しい時ほど、その時間はいつか終わるという事実に悲しくなる。 嬉しい