あの人になりたいと、あの人みたいになりたい。
昔の私は、「あの人になりたい」とよく思っていた。
最近の私は、「あの人みたいになりたい」と思うようになった。
ほとんど一緒に聞こえるけれど、「みたいに」の四文字に、私の成長が隠れている。
中高生の頃抱いていた「あの人になりたい」という思いは、クラスの可愛いとチヤホヤされている子や、運動ができるバスケ部のエースの子への憧れだった。
彼女たちのポジション、映画でいう役柄そのものをうらやみ、それが欲しいと願った。
最近抱く「あの人みたいになりたい」は、自分に自信を持って堂々と行きている人や、大人になっても挑戦をし続けているかっこいい人への憧れだ。
でも、彼ら・彼女らのポジションごと、まるまる人生を交換したいとは思わない。素敵だなと思う部分を自分も真似して、理想の自分に一歩近づきたいという気持ちが大きい。
こんな気持ちの変化が起きたのは、成功しているように見える人たちの、隠れた苦労に気が付けるようになったからだ。
彼ら・彼女らが、過去にたくさんの苦労をしていたり、成功を維持するためにたくさんのことを犠牲にしていたり、また成功しているからこそ受け取る妬みや僻みに耐えていると知れば、ただ運が良くて得しているあの子になりたい、なんて失礼なことを思わなくなる。
そして、私自身を生きる決意ができたからという理由もある。
キラキラして見える誰かの人生を生きるのではなくて、私が今持っている好みや、性格や、できることを使って、素敵な人生にしたいのだ。
それを叶えるために、周りの人への憧れを、理想近づけるよう努力するパワーに変えている。
ショーウィンドウの外から、あれが可愛いあれが欲しいと手をこまねいていた少女が、実際にそれを買うために働き始めたくらいには、成長できているだろうか。
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