お客さまをやめてからが、本当のスタート。
私たちは、お客様になりたがる。でも、お客様マインドは、成長のじゃまになる。
「お客様マインド」を「作り手マインド」にすることが、成長するためにも、毎日を温かく過ごすためにも大切だ。
お客様にならない人なんていない。レストランに入れば、美容院に行けば、お客様として、もてなされる。
そのレストランの店員さんも、美容師さんも、仕事をしていないときはどこかでお客様になる。だから、みんな、お客様なのだ。
お客様って聞くと、偉そうな感じがする。そして実際に、お客様はえらい。
もちろん、店に入って、私は客だぞと威張り散らしはしない。けれど、なにかをやってもらう立場にいるのだから、やはりどちらかというと偉いのだろう。
そして、このなにかをやってもらう、もてなされる立場にいるという意識を、私は「お客様マインド」と呼ぶ。
お客様マインドになるのは、お店の中だけではない。特に、新しいメンバーとしてどこかに所属し始めたとき、私たちはお客様マインドになる。
ならざるを得ないのかもしれない。
どこに何があるかも、何が普通かもわからない。
周りが優しければ優しいほど、あれはそこにあるよ、次はあれをしたらいいよ、と手取り足取り教えてくれる。
そんな中で、お客様のようにならないというのも無理な話だ。
しかし、いつかはお客様を卒業しなければならない。
お笑い番組を見て、この芸人は面白い、この人たちはつまらないと批評することは簡単だ。出された料理を食べて、これは何かが足りない、美味しくないと文句をいうことは簡単だ。
でも、文句が言えることと、それを改善できることは別だ。むしろ、文句を言うなら実際に作ってみてくださいと言われてたら困るなんて状況がほとんどだ。そう、何かを作るのは、お客様としてあれこれ言うことも、ずっとずっと難しいのだ。
それなのに、お客様でいると、偉くなったような気がして、自分が簡単なことしかしていないのを忘れてしまう。自分は何かすごいことができると、錯覚してしまう。
でも当たり前だが、難しいことに挑戦しないと成長できない。つまり、成長するためには、「作り手マインド」を持たなければいけないのだ。自分ごとにして、問題を解決する側にならなければいけないのだ。
それに、お客様でいる限り、いつまでたっても本当の仲間になれない。
お客様でいるということは、別のどこかから来ているということ。だって、お客様として文句を言うということは、「それは私の問題ではありません。」と言っているようなものだから。
何か問題が起きても、直接自分には関係ない。何かをしてもらうのが当たり前。それがお客様だ。
じゃあ、お客様マインドをやめるとはどういうことか。
それは、自分も問題を解決する側にいると自覚することだ。
そもそも、お客様は甘やかされる。小さい頃、自分がお茶をこぼしたときは怒っていたお母さんが、友達がこぼしたお茶を「全然いいのよ〜」と拭いてあげていたように。
だから始めは、ただそこにいるのも大変になるかもしれない。
今までは何も言われていなかったことを注意されたり、気にもしていなかったことをきちんと考えなければいけなくなるかもしれない。
それは、小学校に入ると「幼稚園生じゃないんだから。」と注意され、中学校に入ると「小学生じゃなんだから。」と注意される感覚とも似ている。
この、お客様と作り手の狭間にいるときが、一番つらい。
今までみたいに楽じゃないのに、能力が足りなくて、何もできないんだもん。
五月病とかも、そんな感じで、「新入社員」としてお客様扱いを急にされなくなるから、辛いという一面もあるのかなと勝手に思っている。
でも本当は、怒られる範囲が増える分、できることも、きっとこれもできるよ!という期待も、増えているのだ。
そして何より、お客様マインドを捨てた瞬間から、作り手としてスタートラインに立てる。絶対に。
そのあとも、上手くなろうと努力する限り、作り手としてどんどん成長できる。そして、問題に一緒に立ち向かう仲間もできる。
人は楽をしたがる生き物だから、気がつくとお客様マインドになってしまう。だから、何かの文句を言っている自分に気がついたら、お客様マインドになっていないか、少し立ち止まって考えようと思う。
面白いことに、一度作り手になると作り手の大変さがわかるから、お客様になっても「大変だよね、頑張って。」と心から思えるようになる。そうなると、毎日の生活も少し温かくなる。
そう、いいことづくしなのだ、作り手マインド。
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