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努力を辛いものではなく、楽しいものにするために

楽しく頑張れるときと、いくら頑張っても辛いときの違いは、「できそう」と「できるようになりたい」があるかどうかだ。

最近、いろいろ頑張っているのに、スッキリしなかった。

力不足を実感することが立て続けに起きて、それを改善したいと思うのに、改善したところで何も変わらないのではないかと思う自分もいた。

その原因は、「できない」だけが溢れて、「できそう」と「できるようになりたい」が欠けていたからだった。

できないは、簡単に見つかる

「できそうで出来ないもの、でもできるようになりたいもの」が人を魅了するというのは、前にnoteにも書いた。

私たちがハマるもの。例えばゲームなんかは、もう少しでクリアできそうなのにできないから、ついつい時間を忘れて熱中してしまう。

同じように、どんなものも楽しく頑張れるはずなのに、試験勉強や仕事を頑張るのは辛い。それは、私たちが「できない」を見つけるのが得意すぎるからだ。

これができない、あれができない。そう思うのは簡単で、生活していれば何かしら、もっと上手にできたかもという後悔にぶつかる。

でも、それを楽しく改善するには、意識的に「できそう」を足さなければいけない。

ゴールを見つけて、できそうにする

できそうにするには、ゴールを見つければいい。

わざわざ考えなくたって、ゴールなんてわかっているけど、それでもできないから辛いんだ、と思うかもしれない。

でも、よくよく考えてみたら、ゴールがわかっていなかったということもある。

最近、noteを書いた後の満足感が、あまりなかった。引用ができていないとか、読んだ人の行動を変えるほどの力がないとか、ダメなところはわかっていたけれど、だからといって、どんなnoteを書きたいのかわかっていなかった。

だから、ゴールを発見するために、良いものが書けたと思ったときのnoteと、最近のnoteを比べてみた。

そうすると、「これを直したい、こうなりたい」という悩みをつらつら書いたnoteではなく、「こう考えればその悩みは解決するんだ」という発見をまとめたnoteが書きたいんだとわかった。

さらに、何かを発見できたときは自然と、参考になったものを引用するし、その発見を通して読者がどんな行動を起こせばいいのかもわかる。

そうとわかれば、私は良いnoteを書くために、発見を求めて本を読んだり、考えたりすればいい。ゴールまでの道のりがはっきりしたから、「できない」はもう「できそうで、できない」だ。そうなれば、きっと努力が楽しくなる。

できるようになりたいか?を問う

努力を楽しくするのと同じくらい大切なことが、もう一つある。それは、本当に必要な努力に専念することだ。

ゲームのためにいくら努力をしても、勉強がおろそかになったら怒られる。同じように、できなくていいことまで頑張ろうとすると、いっぱいいっぱいになって、本当に必要な努力をする余力がなくなってしまう。

だから、「できそうでできない」ものの中から、「できるようになりたい」ものを選ぶ。

そうすると、でもこの努力って意味があるのかな?と不安に思うことなく、全力で頑張れる。

良いnoteを毎日更新することは、私ができるようになりたいことだ。毎日新しい発見をして、かつそれを誰かのために言葉にまとめられたらいいなと思う。

だから、noteは私にとって、「できそうで出来ない。でもできるようになりたい」ことだ。これで、これからも楽しく毎日更新を続けられそう。

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