時間感覚は加速するのか、そもそも『時間は存在しない』のか
今年が終わる…
毎年、5月にもなると「もう今年がおわる」など思ってみたりするのですが、今はもう来年3月くらいまで終わった感しかありません。いくらなんでも早すぎます。
大人になると1年が早く感じるのは、「ジャネの法則」と呼ばれるアレです。
「人生のある時期に感じる時間の長さは年齢の逆数に比例する」というもの。
1歳の時に感じた1年を1/1とすると、
2歳の時の1年は1/2。1歳の時の2倍速く感じるようになります。
50歳にもなれば、1年は1/50。これは早い。
でも、還暦60歳になると、1年は1/60。 もうあまりピンとこない。
分数はわかいにくいので、少数や1年の体感日数にしてみます。
なるほど、確かにこれは早く感じるはずです。
ただ、アラフィフにもなれば、今後1年のスピード感が倍に早くなるのは50年後。50代も60代も70代も主感的には大きく変わらない、これ以上は(ほとんど)早くならないようで安心しました。
さて、ジャネの法則を打ち破るには、夢や目標を持ち、常に新しいことに挑戦し続けることが有効とされています。
人は、年齢を重ねると、多くのことを経験するため、生活の中に新鮮味がなくなります。ある程度の年齢になると、新しいことを身体機能の低下などで新しいことを始めるのが億劫になったりします。
だからこそ、新しいことを始めたり、新しいことを学ぶことで、脳の神経細胞が活性化され、脳の活動量が増え、時間がゆっくりと感じられるようになるのだそうです。
まぁ、そうなんですが、、
私にとっては、新しいことを始めるよりも、「今」を感じることの方が即効性があり、有効なようです。
「夏が終わった」と感じたのは3週間前、お彼岸の頃。
朝晩涼しく感じるようになり、生活にも「秋らしさ」が出たのはこの1週間。
でも、
10月に入ったとたんおせち料理の予約が始まり、、3ヶ月後
今週はクリスマスケーキの予約が始まり、、2ヶ月半後
近所のスーパーや洋菓子店などは、ハロウィン一色、、今月末
今週は、生命保険の控除のハガキ、、来年2月
確定申告関係はともかく、企業のプロモーションは、私たちの「現在」を蝕み、時間感覚を歪めます。しかも、順序がメチャメチャなので、情報を目にするだけで疲れます。
加えて、10月上旬だというのに、なんと来年2月までにやることや、そのスケジュール感が脳内を駆け巡ります。なんなら、確定申告後に来るかもしれない税務署の「お尋ね」や、消費税や所得税の支払いまで、脳内を埋め尽くします。
毎年繰り返しているので経験値もあがり、ステージも上がっていますが、その刺激は変わらない。むしろ、お上によってそのめんどくささは爆上がりしたばかり。DXで良くなるどころか、デラックスに手間が増え、プンスカし悪態をつきながらPCに向かう今後半年分の自分が見えた。
ジャネよ。
「夢や目標を持ち、常に新しいことに挑戦し続ける」のは、年を重ねても大切なのは間違いないけれど、先のことに脳内を支配されずに生きていく方が、ゆっくりとした時間を感じられる、味わえるのではないかと思うのよ。こんなに、年中プロモーションで溢れかえっているなんて、19世紀には想像もつかなかったでしょ。
過去だけでなく、未来まで、時間を先食いするのが、現代です。
そんなわけで、私の未来を、過去の経験と記憶を元に予測し、まだ何もしていないのに無駄に疲れてしまっているわけですが、これもまたただの予測の話。未来を想像する現在も、次の瞬間は過去となり、それが記憶の中に入り、そしてまた未来の想像をする現在があり、、と、全部私の脳内にある記憶の話と現在の体験が繰り返されているわけで、、時間とはなんのことですか?
そんな感じで、先の出来事に脳内が忙殺されている時のための積読。
時間に追われるのではなく、時間感覚そのものを見直したり、時間という概念そのものを再考することで、より豊かな「現在」を生きることができるかもね、、という、現代社会の絶望的な忙しさや焦燥感との折り合いの付け方が見つかるかもしれません。
なお、私自身は、急かされる感覚は、社会的な構築物であり、必ずしも「真実」ではないと解釈したのですが、いまだに急かされまくって生きています。9章、10章あたりで、積読組に戻されるからでしょうか。通読できれば、また時間の捉え方が変わるのかもしれません。
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