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実家に帰り、自分の成長が誰かのためにもなっていると気づいた話。

成長は自分のためだけのものではない。

子どもの成長を見て喜ぶ母と祖父母を見て、そう思った。


GWを実家で過ごした。

父は農家の兄の手伝いで家を離れていたから

娘と息子の成長を直に見せることはできなかったけど、

母、祖父母には見せることができた。


3歳の娘と、0歳8ヶ月の息子、成長著しい。

会わせる度に成長しているから、

毎度楽しみにしてくれている。


子どもたちの一番近くに僕も

子どもの成長を日々感じているけど、

多くて1ヶ月に1回、

数ヶ月に1回会うかどうかくらいの感覚で会うと、

余計に子どもの成長を感じるだろうなと思う。


会う度に身体も大きくなり、

知能も発達していき、

段々とコミュニケーションも取れるようになっていく。

そりゃあ会うのも楽しみになるだろうな〜と想像に難くない。


今回は1ヶ月ぶりに会ったけど、

1ヶ月の間に娘はひらがなを理解し、

文字を見ては

「これは、おにぎりの”お”!」

「これは〜、ありさんの”あ”!」

なんて、ひらがなに絵がついていなくても、

文字だけで答えられるようになった。


娘なら、

ひらがなを理解できるようになったことだったり、

保育園で新たに仲良くなったお友達とのエピソードを話したり。

息子なら、

おすわりができるようになったことだったり、

離乳食を食べられるようになったことだったり。

それぞれにできるようになったことを

話したり、披露したりして、

母、祖父母にその成長ぶりを喜んでもらった。


そんな我が子の成長を喜んでくれる母や祖父母を見ていて、

成長って誰かのためでもあるんだなと思わされた。


娘や息子はまだ自分自身が成長していることに喜びを感じたり、

成長しようと意識的にやっていることはないと思う。


大人になり、「成長」を考えたとき、

大体、その成長の意味合いは

自分自身のためであることの方が多いように思う。


自分が何かしらスキルを修得して成長することで、

結果的に給料が増えたり、ポジションが上がったり。

成長してできることが増えて、

成長の対価としてお金や地位を得ることができて、

生活が豊かになっていく。

自分自身が理想の生活をするために

成長しようと努力して、得た結果に喜びを感じる。


でも、成長する子どもを見て喜んでいる母、祖父母を見ていて、

成長って自分のためだけのものではないと気付かされた。


自分の成長を喜んでくれる人もいる。


自分自身の成長のために頑張るのも良いけど、

成長の目的は必ずしもそれだけではない。

自分の成長を喜んでくれる人のために頑張るってことでも良いなと。


自分のためだけに何かを頑張るってなると、

結構な確率で甘えが出て、

「今日はこれくらいでいっかな〜」とか

「今日は休憩でいっか」とか

思ってしまったりして、

”頑張る”が中途半端になったりする。


マイペースがマイペース過ぎて、

成長するのにめちゃくちゃ時間がかかっている、みたいな

自分なりのマイペースになってしまう。


でも「誰かのために」という、

自分以外の他の誰かのためとなると、

”頑張り方”が変わる。


「誰かのために」という要素があった方が、より頑張れる。

「これくらいでいっかな〜」という考えも、

あの日あの時にあの人に成長を見せたいから、と

自分なりのマイペースではないペースで頑張れるようになったりする。


成長したい理由は何でも良くて、

自分のためでも当然良いけど、

「誰かのために」があると、

より前のめりに頑張れるな〜と思えた。


成長は自分のためだけのものではない。

その成長を楽しみにしている人のためでもある。

そう考えると、誰しもみんな、成長する義務があるとも考えられる。


自分自身の成長を見せて喜んでもらっている子どもたちのように、

僕自身にも、きっと、どこかで楽しみにしてくれている人がいるはず。


そんな人達のためにも、

変わらず成長することに貪欲でいたい。

どんどん成長して、喜んでくれる、笑顔になってくれる人を増やしたい。


そんなことを思わせてくれたGW。

こうした家族で過ごす時間をこれからも大切に、

会えるときにちゃんと会う、ということしていって、

成長した姿を見せられるようにしていこうと思う。

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