泣き虫だから、手を握る。
おばあちゃんに会ってきた。
ぼくは動揺した。
こんな状態として見るのはやっぱりびっくりする。
姿を見てると気持ちが溢れた。
涙が止まらなくなった。
一生懸命生きてるおばあちゃんが誇らしい。
死ぬのが怖い、怖くてたまらない。
まだ生きてたい。
今日も沢山聴いた。
ピースしてっていったらダブルピース✌️
ちゃんと意思の疎通もできる。
まだまだ生きれるね。
大丈夫。
最近になって、一歩踏み出した背中が押して欲しくなって、直接会話をすることはもしかしたらもしかするから、聞きたいこともちゃんの聞いた。
「オレ、会社をやめてやりたいことやるんだ。カメラをやる。上手くいくかな…?」
「大丈夫よ。コウタならぜったい大丈夫。うまくいくわよ。お天道様がちゃんと見ててくれる。パパとママも見てくれる。頑張れば大丈夫よ。」
だから僕は大丈夫だとおもう。
信じてくれる人もいる。
信じてる自分もいる。
努力する。
僕は自分の人生も、自分にも誇りを持ってる。辛い人生もあったけど、自分にとって恥ずかしさなんてなく、これが僕の人生だと堂々と言える。(もちろん、反省したり、もっと改善できる点はあるからそれはちゃんと向き合ってやっていく)
こんな形でnoteに、不特定多数の人が見るSNSに自分の家族のことや、本音を話していてどう思われるかという意見があるのはわかる。
でも、誇りある人生を、見せて何が悪いと思う。僕の人生と僕の家族についてネガティブな言葉は言わせない。むしろ、応援してくれる人が沢山できることがわかった。
少しでも、同じ境遇、似た境遇の人に勇気や元気、励みを与えた方が価値がある。出し惜しみする必要もない。
ぼくはおばあちゃんとぼくのカメラで写真を撮った。気持ちが込み上げてて、涙目だけど気にしない。泣き虫なところも、弱いところも僕の全てだから。
なんとか笑おうとおもったけどこの2人の時間では無理だった。大好きだから。心の底からだいすきだから。
ここに載せてる写真はぼくのカメラで撮ったもの。加えてそれにレタッチもしている。家族写真を生業として生きていこうとするぼくにまた一つ大切な写真が増えた。
家族愛を教えてくれたおばあちゃん。
ぼくがカメラマンとして家族写真を撮る理由がまた一つ増えた。大切な人との写真をのこそう。どんな時でも、残していこう。ぼくだから伝えられる写真がある。
おばあちゃんは今も強く生きている。
お医者さんからは、もしいまの状態がさらに悪化したら延命して辛い思いをさせる選択肢ではなく、いかに辛い思いをさせないようにするかという選択肢を取ります、おばあちゃんのためにも。と言われた。ちゃんと納得してる。
もしかしたら、今日会えたことが最後かも知れない。でも大丈夫。手も握った、話した、写真も撮れた。
あと一つ、おばあちゃんかっこいいぞ!って思ったことがある。
この写真の状態でも、
今日の朝ごはんとお昼ご飯、100%食べ切ったって。よくがんばったね。
ぼくも沢山頑張るよ。約束する。
最後に一言、伝えるべきことも伝えた。
「いつも、ありがとう」
おれ、がんばれ。
左にいるのは僕の兄。
おばあちゃんは88歳。
両親を亡くした2人の兄弟は、ここにいるおばあちゃんと2015年に亡くなったおじいちゃんが育ててくれました。
もう一度言う。
おばあちゃんとおじいちゃん、心から大好きだ。