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いのちはきもち
生物学者、哲学者、医学者、宗教学者など、専門によって『命』の定義は様々。そんな定義はいっさい無視して、子どもたちと『命』について対話した。
「弟がケガをしたときに、命を感じる」
「鳥はさばけないけど、魚はさばける。鳴かないし、表情がないから。」
「感情が揺さぶられるものに命がある」
「命は受け継がれていくもの」
「命がなくなった遺体を大切にするのはなんでだろう?」
「命が大切というなら、戦争や死刑で大切な命を奪うのはなんでだろう?」
「自分たちが考える人間像と違うと、(同じ)人間ではなくなってしまう。」
「すべての命は平等なのか?」
「命がないものはないのではないか?」
「物であっても、誰かがあると思ったらある」
いろいろ対話した結果、『いのちはきもち』って言葉が浮かんできた。
俺は、この定義が一番好きだ。
俺の父は癌サバイバーだ。
父が俺くらいの年齢のときは重たいタバコを1日に2~3箱は吸っていた。
手術前の絶対禁煙期間ですら吸ってしまった。
術後も医者からは禁煙を命じられているが、
当然、こっそり吸い続けている。
ただ、父とてまだ死にたくない気持ちはあるのだろう。
軽いタバコに変え、頻度を減らしてはいる。
長男の俺としては、父に長生きしてほしいので、
会うたびに口では禁煙を促す(が本気でとめてはいない)。
禁煙したって、癌は再発するときはする。
命は気持ちだから、父からタバコは奪えない。
でも父の寿命を縮めたくはない。
いのちはきもち。
本人の気持ちもあれば、関係する人の気持ちもある。
そのちょうどのところが、
父の「ちょっと外の空気(タバコ)吸ってくるな」なのだと思う。
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以下、告知
父の煙草もそうだが、人生は選択の連続。
後悔しない選択について一緒に考えませんか?
東京開催ですが、オンライン視聴もできるそうです。
子どもたちと命の対話をしたのはここ。
テストで採点できないことを考えてます。
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