【子ども教育#9】なにをもって卒業なのか
小2長男が幼稚園児だった頃、
毎日、何度も「読んで!」とせがまれた恐竜図鑑。
いまは、せがまれることはない。
代わりに、ゲーム攻略本をひとりで読み込んでいる。
読み聞かせも、恐竜図鑑も卒業したといえる。
ボロボロになるまで大切に読んでいた恐竜図鑑と、
つかわなくなったおもちゃに、
今日、長男が新しい命を吹き込んだ。
長男命名『恐理(きょうり)』
恐竜の『恐』に理科の『理』らしい。
この姿に、3歳次男が反応。
そのうち次男のために、恐理が活躍する日が来るだろう。
それまで飾っておこう。
さて、『卒業』といえば、尾崎豊。
「この支配からの卒業」
この印象的なフレーズから、わかってくれない大人代表、
べき論をおしつける教師・学校からの卒業を歌っていると思いきや、
「これからは何が俺を縛りつけるだろう」
「先生あなたはかよわき大人の代弁者なのか」
「俺達の怒り どこへ向かうべきなのか」
と、教師や大人を縛り付けるもっと大きな存在を歌っている。
「あと何度自分自身 卒業すれば 本当の自分に たどりつけるだろう」
結局、縛りつけているのは、自分自身なのだ。
「この支配からの卒業」
「闘いからの卒業」
尾崎の年齢をとうに越え、40歳を過ぎてもなお、闘い続けている俺・・・
「あと何度自分自身 卒業すれば 本当の自分に たどりつけるだろう」
本当の自分ってなんだろう。
そう思っている自分が、本当の自分な気もしている。
この歌からひとつだけ確かなことをあげるならば、
卒業とは、自他を許しあい 解りあうこと。
それが、おわりであり、はじまり。
自分自身を知ること、
自分自身を受け入れること、
他者と世界と繋がること。
大人になってもできていないけれど、
子どもにだってできていること。
それぞれの人生がはじまるための教育でありたい。
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