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【サンプリング小説】目の前を横切ってゆく黒猫のほうは良いことありますように

目の前を横切ってゆく黒猫のほうは良いことありますように
引用:twitter @tarrorism (たろりずむ 様)



アカリの束縛が段々と強くなってきたのは、付き合って間も無い頃からだった。
束縛といっても、それはまるで子どもの後追いのようなもので、
彼女は決して俺から離れようとしないのだ。
俺にとってアカリは疫病神だ。
一緒にいるとロクなことが無い。
それでも彼女は時々俺に向かって、まるで俺の為に側にいるような口ぶりで
「タケルは私が居ないとダメなんだから!」と言った。


アカリと付き合い始めてから、良くないことが降りかかり続けている。
思えば彼女と出会った日から、既に俺の運気は尽きかけていた。

当時の話をしよう。
前の仕事はかなり忙しく、終電で帰る日もザラにあった。
あの日も例に漏れず終電に乗る為帰路を急いでいたが、駅に着いた頃、定期を落としていることに気が付いたのだ。
財布には200円しか入っていなかった。

終電はもう間に合いそうになかった。
駅中に最終便のアナウンスが鳴り響いているのを、半ば諦めて聞き流した。
タクシーで帰る手段はある。
しかし1ヶ月以上も残っている定期を落としたことに、思わず頭を抱えることしか出来なかった。

「探すか…?」

小さな独り言と共に、大きなため息をついた。
そのため息を合図に現れたのが、アカリだった。

「これ、貴方の定期入れですよね?」

定期入れに目線をやると、『ウチムラ タケル』と書いていて、それは間違いなく俺の名前だった。

「あ、助かりました!ありがとうございます!」

驚きの声と共に顔を上げると、
可愛らしい声とは裏腹に、綺麗な女性が立っていた。
黒髪ロングの髪型も相まって、色気すら感じる。
その時の俺に限れば、彼女は女神のように見えた。
彼女はニコリと微笑んで、言葉を返したのである。

「いえいえ。ところで、良ければ家に泊めてくれませんか?」

その日から彼女は我が家に棲みついている。

彼女の行動は見た目に反して、随分と幼い印象を持った。
アカリはどうにも我が儘で、何事も自分が決めたように進めたがるのだ。
第一に、残業の多い仕事をしていた俺に、転職をするように言いつけた。
彼女と一緒になって数ヶ月の頃だっただろう。
当時大手の会社に勤めていた俺は抵抗を続けたが、
彼女の説得に根負けをして小さな会社に転職をした。
残業は減ったが、給料も減った。
満足はしていなかったがその後、前職から過労死者が出たニュースを見て、
不幸中の幸いだとは思った。

次にアカリは新しい家に引っ越しを薦めた。
確かに2人で住むのにワンルームは手狭だったので、引っ越し自体は賛成だった。
しかしアカリは、俺が持ってくる物件をことごとく断り、
今より少し広くなっただけの小さな1DKアパートを薦めた。
転職の時のように、やはり彼女は最後まで折れなかった。
給料が減った分強く言えなかったので、最終的に彼女が提示した部屋に引っ越すと、そこは駅に近すぎて、電車の音が四六時中うるさい。
前の家の方がマシだった。
しかし引越し前に住んでいたマンションで火事が起きたと聞いた時、不幸中の幸いだと思った。

あの日からずっと、ついてない。

アカリのこだわりにはほとほと嫌気が差していた。
最も厄介なのはどこにでも着いてくることで、それは散歩だろうが通勤だろうが変わらなかった。
幾ら強く言い聞かせても、アカリは会社の近くまで、必ず着いてきた。
出社する瞬間ですら心配そうにする彼女に向かって、
俺は愛のない惰性で頭を二度撫でる。

「何かあったら心配だから」
彼女はいつも同じことを言う。
「タケルは私が居ないとダメなんだから!」
ある日俺は、彼女を捨ててしまいたいなと思った。


例え雨が降っていても、彼女は決して俺の側を離れない。
散歩に行こうとする俺の袖を引っ張って、彼女は聞いてきた。

「どこ行くの?私も行きたい」
「本屋だよ」

彼女の目が一瞬にして輝くのが分かった。

本屋は、彼女が唯一俺から離れる場所である。
本が好きで堪らない彼女は、いつも店に入るなり文庫本コーナーまで飛び出すのだ。
案の定彼女は
「ちょっと見てきて良い?」と聞いて、
それから一目散に文庫本コーナーへ向かった。
振り返らずに本棚の影へ消えていったアカリは、随分と俺を信頼しているようだった。

俺は心の中で手を振って、迷い無く店を出た。

アカリは美しかった。
ただそれだけでは耐えられない窮屈さがあった。
自由になった俺は、人目も憚らずに両手に拳を作って喜んだ。



それから不思議なことに、アカリからは全く連絡が来ない。
アカリの執着心を恐れ2泊程漫画喫茶に宿泊したが、
いよいよ彼女は俺から離れたのだと感じ、3日目の今日、家に帰ろうと思った。

漫画喫茶は静まり返っている。
駅から少し離れた場所を選んだので、客も少ないのだろう。
精算をしようとレジに向かうと、いきなり何者かが俺に向かって走り飛んできた。
余りにも一瞬のことで、気付いた時には手遅れだった。

「動くな!」

素早く俺の首に腕を回した男が、反対の手に刃物を持っているのに気が付いた。
恐怖で声が出ないでいると、レジの男と目が合った。

「だ、誰か!」

わずかな期待虚しく、男は叫びながら店を飛び出した。
違和感に気が付いた客たちも、やはり次々と叫びながら姿を消した。

男は刃物を振り回しながら人々に威嚇したが、襲いかかりはしなかった。
無差別で殺す気は無さそうだが、易々と見逃す光景に違和感もあった。

「運が悪かったな。お前は人質だ」

最悪だ。
俺は刃物を突きつけられたまま、情けなく両手を挙げることしか出来ない。

「まあ安心しろ。下手なことしなけりゃ殺さない」

犯人のいう『下手なこと』が何かも分からず、ただ黙っていることしか出来ない。
こんなことになるなら、と頭の中で過去を振り返った。


誰かも分からぬが、通報をしてくれたようである。
間も無く、慌ただしくパトカーのサイレンやヘリコプターの飛ぶ音が聞こえてきた。
犯人は俺を縛ると座らせて、ブツブツと1人で呟いている。
不安定な男を見ていると、生きた心地がしなかった。

警察は拡声器を使って犯人に呼びかけ始めた。
ビルの2階に位置する漫画喫茶に声は充分届いているが、
男はまるで気にする様子が無い。

「何故俺が立て篭っているか知りたいか」

突然男はニタニタと笑いかけながら、俺の方へ振り返った。
俺が静かに頷くと、男は落ち着かない様子でウロウロと歩き始めながら口を開いた。

「俺は今、国を動かしてるんだ。学校にも会社にも馴染めなかった俺が、社会で必要ないとされている俺が、国を動かしている。こんなことは初めてだ。最高に気分が良い!」

男は大袈裟に笑った。
それがまた気味悪かった。

こいつは何も考えていない。
考えていないので、最初は人を逃したし、今度は俺を殺すかもしれなかった。
正常で無い人間といるのは、生きた心地がしない。
俺はまた黙って1点を見つめながら、定期的にやってくる警察の声を聞き続けるだけだった。
空腹と睡眠不足でいよいよ精神も保てなくなった2日目の夜、
一世一代の大チャンスが訪れた。

男が、意識を飛ばすように寝始めたのだ。

逃げるなら今しかない。
しかし男は入り口の扉にもたれかかるように眠っている。
普段なら別の方法を考えただろう。
しかし、最早俺自身も正常の判断は出来ないでいた。
なんとか立ち上がって見せると、
縛られた腕を使えないまま、窓から飛び降りた。
死んでも仕方がない覚悟だったが、唯一2階だったのが幸いした。
俺は駐輪場の屋根に右のかかとあたりから落下した。
暫くうめいているうちに人が寄って来たのに気が付いて、
安堵の涙を流した。

右足と、腰にも激痛が走っている。
緊迫感から抜け出して警察に保護された俺は、ようやく心から安心することが出来た。


病院で見てもらうと、右のくるぶしにヒビが入っていて、グルグルとギプスで固定された。
治療が終わると慌ただしく、警察署へ移動する。
落ち着いたのはそれから何時間も経った後で、警察とひと通り話をして漸く警察署を出た時、俺は久々にスマホを見た。

やはりアカリから連絡は無い。
ニュースにもなっている筈なのに、連絡が無いのは妙だった。
スマホには、友人と会社から通話履歴が残っているだけである。

俺は現実をようやく取り戻し、松葉杖を駆使しながら会社に折り返しの電話をした。
疲れ切っていたが、日常を取り戻せたことが嬉しくもあった。

「すみません社長、長い間連絡できず」

小さな会社なので、社長との距離は近い。
連絡を取り合うことも珍しくない関係性だった。

「困るよ君、何日も連絡しないなんて。悪いけどクビだよ」

社長の言葉に思わず立ち止まった。

「待ってください、僕は先程まで人質になってまして」

「まあ気持ちは分かるけど、合間に連絡の1本くらいしてくれないと。大事な取り引き先との商談もすっぽかしたんだから。この損失は非常に大きい。責任を取って貰うしかないね」

会社の経営が上手くいっていないのは知っていた。
社長は元々、誰かを切りたかったのだ。
俺の命をかけた災難は、人件費削減として消化された。

最悪だ。
俺は既に切られた電話を離すことが出来ず、道路で呆然と立ち尽くした。

アカリと離れてから、
以前とは比べ物にならない程、最悪なことが幾つも降りかかっている。

『タケルは私が居ないとダメなんだから!』

彼女の声が、頭の中に響く。
確かにそうだった。
彼女がいる間、俺の人生は『マシ』だったのだ。
『マシ』な選択をしてきたのは、いつだってアカリだった。

「早くアカリに戻ってきてもらおう」

気を取り直してスマホのダイヤル画面に触れた時、遠くから叫び声が聞こえた。

「そこの君!逃げなさい!!」

自分のことだと気が付いたのは、
2、3度その声が聞こえたときだ。

スマホから顔を上げると、目の前でトラックが暴走していた。
運転手は気を失っているのか眠っているのか、
車道も歩道も御構い無しに、
全速力で俺の方に向かっている。

最悪だ。
逃げなければいけないが、焦燥に加えて右足も使えず上手く身体が動かない。
死という文字が、こちらに迫っているのが分かる。
この距離なら、誰かが手を差し伸べてくれれば、もしかすると助かるかもしれない。

「誰か!助けてくれ!」

俺の叫び声に振り向く人や目を覆い隠すように見守る人がいても、
寄ってくる者は誰もいなかった。
もうダメだ。
逃げる時間は無いのに、世界が何故かスローモーションに感じる。
数秒後に起こる出来事を予期して力一杯目を瞑る寸前、俺の目の前を、黒猫が全速力で横切った。
不幸が起こることを伝えに来たのならば、少しばかり遅すぎたでは無いだろうか。

あの黒猫が無事だったか否か、俺はきっと知ることが出来ないだろう。
彼女はとても美しい黒色の毛並みをしていて、何故だかその時、俺は黒猫の幸運を祈った。

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