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自分とこころ - こころの治癒⑩

(心のカタチより)

自分たちは、この世に産まれてからずっと共に活きる”こころ”というパートナーがいる。そのパートナーは、自分自身を護るためにずっと寄り添ってますが、そのこころとの付き合い方で、時に感情という悪戯っ子を湧かし混乱させるもします。ただ、”こころ”は永遠の味方。悪いことも知って、気づき難いこころを知るため荒療治が必要です。それが”こころ”の嘘偽りのないカタチを保ちます。

前回「チカラは力を使わない」というお話をしました。その話しでは、自分の”幸せ”をどう知り得るか。その知り得る術を人の心を通し、自身のこころが”どう映し出されるか”を『感じる』話でした。

人は、十分に理解できない”心”を持つため、その心を疑い出したら答えを見失ってしまいます。それをも知らず”考える”や”思う”をしてしまい感情という悪戯っ子をなだめれずにいるのです。

”考える”、”思う”とは感情そのもの。その感情を造りだす恰好の餌を与えるのです。それが更に自身を感情の深みへと引き込むのです。

何も考えるなとも、何も思うなとも云いませんが、ただ、自身に必要な答えを見失わすなら、わざわざその深みにはまることは避けるべきでしょう。「自分が感情に囚われたいのか」胸に手を当てれば気づくはずです。

胸のあたりに心があるかは本話題とは異なるためお話しませんが、胸に伝わる鼓動は少なくとも”こころ”を伝えてます。こころは鼓動を使い全身に伝えているのです。

”自分”と”こころ”は共に活きるパートナーです。
それは誰でも判るはずです。

「二重の人格」

いきなりの見出しですが、これは二重人格ではなく、二重の人格です。本来、同じである人格とも云える”自分とこころ”が、何かの拍子で心が別の”もの”に思えてしまうことです。簡単に云えば”自分の心が自分のものでないように思える”ときです。

世にいう二重人格は「もうひとりの別の人格があらわれ自身を支配・阻害すること」ですが、心のカタチでは、自分と共に活きる”こころ”との関係です。

”自分とこころ”は、本来、同じ思いを持つことで”悩み苦しむ癖”を正し、自分自身へと戻します。

人は「幸せになりたい」や「気持ちのままに」活きたいと”思う”だけでは、感情を湧かし出来るもの出来なくさせます。思うならまず出来ることをして、”自分”も”こころ”も支え合える心身(きずな)を育てるのです。

それが”気持ちのままに”なれるのです。”なれる”と云っても、なろうと努力する必要はなく、”こころ”感じるまま言動すればいいのです。

努力することは大切ですが、こころに努力は必要ないのです。努力は力を使わせます。それだけで心を疲れさせもします。”気持ちのままに”なるがけで人身ともに思いは重なるのです。

こころはパートナーです。
自分を一番大切に思い存在します。

”自分”とその”こころ”はそれぞれの人格を持っているように思えもしますが、それは共に重なる存在として強いて心のカタチでは”二重の人格”と云います。

「自分自身」

自分自身という言葉があります。辞書で調べると「自分を強めて言う語(goo辞書より)」とあります。この言葉、何気なしに使われていると思いますが、正直、分かりにくい言葉ですね。

”自分”、”俺”、”わたくし”、”拙者”など語気を強めれば同じに思えますが、自分自身という言葉にすると”自分”も”自身”も同じ”もの”を指し強調させているのでしょう。ならば、”自分自分”でも”自身自身”でも違和感がありますが同じになります。

話を戻しますが。
自分自身を”二重の人格”で訳します。それを解りやすい言葉であらわすと『心身』です。

この”心身”という言葉は「心とからだ(goo辞書より)」と分かりやすい説明がありました。自分自身も”自分”と”自身”と云えます。

では。
自分とは何か。
自身とは何か。
心のカタチ的には、自分を”からだ”、自身を”こころ”としてます。

昔から”こころ”と”からだ”は別に考えられることが多くあり”からだから魂”が抜けると言います。”自分自身”も”心身”も”からだと魂”も”自分とこころ”のあらわれで”二重の人格”です。

こころとからだはどこまでいっても「一心同体」なのです。同じ目的を持つ”もの”同士と云うことで。

「自分とこころ」

自分とこころは”幸せになりたい”で切っても切れない絆を形成しております。その目的を達成するために互いを支え合ってます。

もし。からだが傷つけば心は哀しみを湧かしもしますが、心はそれを嫌と思い傷を治癒させます。又、心が痛めばそれに耐えようとからだは心を護り、目的のため心に気づかそうともがきもします。

それは自分とこころは同じ目的で結ばれており、”幸せ”を優先させようとするからです。それでも心は感情を湧かす癖を持ちます。癖というと悪くも聞こえますが、物事の良し悪しを知るには良い事ばかりではダメなのです。

それを気づかす役目がこころにあり、心を揺さぶり、良し悪しを心身に経験させるのです。もちろんリスクもありますが、それが人生を歩む知恵となり心育ちつのです。

人は感情を湧かし模擬的に”自分とこころ”を引き離そうとしているだけです。

それはどちらが欠けてもイケない存在と理解するためです。

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