#9-4 やっと、諦める、明らめる。《5月・アサーション編》
↑前回投稿
私が私を幸せにする。
いなくても生きていけるけれど、
いたらもっと楽しい。
自分の感情をタイミングよく&うまく表現できるようになる。
そんな私らしい望みを大切にしていくべく
大切な誰かと親密になることが
あの頃の私にとって
どうしてこんなに難しかったのか
について整理していきたいと思う✏️
✳︎このnoteは、大好きな彼に別れを告げるしかなかったことに後悔した女子大生が、気持ちの整理がついたこのタイミングで振り返りをするnoteです!
1人の人間の恋愛訓を読むような気持ちで読んでいただけるのがベストと思いまーす🙌
「なりたい自分になる」と決め学び続けた、5月
「もっとありのままの自分に正直に、
素直に生きていくために
何が必要なのか。」
「素直」をそんな
体得できる技術のようにみなして学んできたこの5月。
素直であるということが
こんなにも難しくて、
だからこそ
あり続けたいと願うだけの
価値あることだということ。
この本質的なところから目をそらすことなく
掴みに行った甲斐は、しっかりとあった。
しかし、これだけではまだ何か弱い。
そんな風に感じたのだ。
私の探究心の強さもここまできたかと、
我ながら感嘆する思いだったが、
たぶん
素直になる。
ただそれだけではまた、
何かを誤魔化し無視し続けることになる。
そんな風に直観した。
「素直になりたい」という
普遍的で誰しもが悩んでいるそれに
全て帰属する前に、
もっと個人的な。
「私」という人間が悩んでいたこと
に向き合う必要があった。
親密さへの恐怖
ただアサーションの本を読むだけでは足りなかった私は、
「カップル」や「夫婦」におけるアサーション
を語る本を選びました。
それは、
“特別な、2人だけの、親密な関係”
を前にした時にだけ、
アサーティブになれなかったから。
だからこの
“特別な、2人だけの、親密な関係”
について見つめ直す必要がある。
そんなふうに感じたのです。
そしてこの本を読む中で私は、
私にとって最も有益で
最も心当たりがあり、
そして、今回の別れにおける最大の原因であるものを見つけることができました。
「今回は相手が悪かったから!合わなかったから。」
で終わらせていたら、きっと気づけなかったと思います。
同じことを繰り返すことになっていた。
あの時そう直観し「諦めない」と選択した自分を
誇らしく思うところです😌
それはいったい何なのか。
「怖さ」。「恐れ」。
Weeks氏とTreat氏が2001年に提唱したもので、
私たちが誰かと親密になろうとする時、
そこには少なからず恐怖が存在しています。
◎私が抱える怖さとどう向き合うか
これを知った時の私が
ものすごくホッとたのを覚えています。
怖がっている自分がおかしいと思って、
あの頃はたくさん
自分を傷つけてしまったから。
けれどこうやって、
言葉にすることができたから。
言葉にすることができれば、
向き合う手段を考えることができ、
それは変わるためのチャンスになるから。
この怖さは、克服していけるのだと
知ることができた。
希望を見出しました。
当時の私は少なくとも5つの恐怖を抱いていました。
パートナーに依存することを恐れ、
自分や相手の感情を恐れ、
怒りを恐れ、
コントロールを失うことを極度に恐れていた。
「NO」を受け取る余裕もなかったため、
拒絶されるのもどこかで恐れていた。
それゆえに、
うまく甘えられずさみしかったり、
自分の感情を過小評価して
目をそらし押さえつけたり、
「相手を少しでも傷つけたくない」と言って
素直な気持ちまでも抑え込んでしまっていた。
これを乗り越えたい反面、適切な働きかけ方を知らなかったので、ただ相手に近づこうとするだけでは、
「どこまでが私で、どこまでが彼か」
わからなくなりそうで、
過干渉になりそうで怖かった。
相手の「NO」を受け取る余裕がなかったから、自分も「NO」と言えなくなってしまっていた…。
◎心のオーナーシップを持ち、どんな自分も受け入れる
怖がっている人に
「なにを怖がってるんだよ!しっかりしろよ!!」
と正論をぶつけて、
果たして克服できるでしょうか。
私は、人は正論だけで動く生き物ではないと感じています。
私が、
彼でもなく他でもなくこの私自身が、
自分の抱えている恐怖を
否定したりせず、
まず受け止め認めてあげ、
少しずつ克服できるように
私が私のペースを大事にしてあげる。
こんな風に、当時の自分に向き合えていたら
何か違ったのかもしれません。
今となっては過去の話ですが😌
もしかしたら、彼だって何か「言い知れない恐怖」を抱いていたかもしれないのにね。
私が自分の恐怖を否定していなかったら、
彼と「恐れ」を分かち合うことも
できたんじゃないかなと、
そんな風にも感じます。
多くの人はいろんな経験をしていく中で、
この恐怖を克服していったり、
この恐怖を感じない人と巡り会えたり、
それを「運命の人」と呼んだり
するのかもしれません。
私はもう「知ってしまった」ので😚
増やすことができた“自分のための”選択を
どう選択し、責任を持ってやっていくか。
そんなことを考えていきたいです💭
私が愛したいと思った人のことを、
愛し続けることが
できるようになるために。
2人の間に葛藤が生まれた時
また、2人の人間が揃った時に感じる違いの一つとして、
私が最も悩まされたものも
この本には取り上げられていました。
「え!私もそれ悩んだんだけど!😮」
と当時の私がメモ書きしていました(笑)
それが、
問題解決志向と人間関係維持志向の話。
これ多分、巷でいう
「女は話を聞いて欲しくて、
男はアドバイスをしたい」
みたいなやつなんじゃないかと。
けど私は、「女は」「男は」みたいな主語の大きい話が苦手だったので、あんまり信じてなかったです。
でも、そう思わざるを得ない場面に直面したので、
当時はこの大きな主語に囚われてしまいました…😥
前提として、
当時の私は自分の本音が分からなくなるくらい「考えていること」がパンパンに頭の中に詰まっていて、どれを出力すればいいのか途方に暮れていました。
しかも、「彼の気持ちは彼のもの」というオーナーシップに欠けていたので、出力したことに対するリアクションまでを、偏った思考で想定していました…
だからあくまで、私の伝え方が悪かった
という前提のもとで。
「問題解決とかは求めてなくて、
ただ話を聞いて共感してくれれば
それでいいんだよね〜」
という旨の話を彼にした時、
「問題が解決しないなら
共感しても仕方ないでしょ」
と言われたのです。
当時の私はきっと、
心配の言葉や労いの言葉が欲しかったんだと思います。
自信も喪失し、不安が募り、
ひとり辛さを抱えていた時期だったから。
時間が経つのをただ待つだけのような悩みも抱えていたから。
本当ならそれを伝えるべきだった。
問題解決だって彼なりの優しさであるはずなのに。
返ってきた彼のこの正論に
当時の私は圧倒されてしまったんですね。
「この人とは、生きてきた世界や
見えているものが、違いすぎるのかもしれない。」
伝え方も悪かったですし、
私の抱えているものも
他に見ないくらい難しいものだった。
彼の言っていることが間違いだったわけでも、私の言っていることがおかしかったわけでもない。
けれど、当時の私にはこの「生きてきた世界や見えているものが違う」という当たり前の事実が受け入れられなかったようです。
とんでもなく大きな壁が立ちはだかったように感じ、
突き放されたように思えてしまったのでしょう。
彼がどんな志向性を持っているのかを
理解していなかったために。
◎男と女の違いを、2人の人間の違いへと落とし込む
この本を読んでわかったことは、
誰もが両方の志向性を持ち合わせていて、
どちらの志向性も大切であること。
時と場合に合わせて使い分ける必要があること。
そして、お互いの正しさを主張し続けるのではなく、歩み寄りが大切であるということ。
巷でいう「男と女の違い」ではなく、
「2人の人間の持つ志向性の違い」
として捉えなおすことは、
「"人間としての"相手とも向き合いたい、
1人の人間である彼を愛したい」
と考える私には有効でした😌
解像度が上がって、汎用性も上がった(笑)
互いに歩み寄るためにも、
まずは自分から歩み寄ってみる
ことが大切だし、
「歩み寄ってほしい」と
アサーティブに伝えるのも必要であると
今回の失恋で知ることができました。
アサーション権を、学んでよかった。
今の私は、就活をする中で自分の
「問題解決力」をメキメキと伸ばしていってる最中です。
あの頃に比べ、
理解することができる視点が増えることに、
楽しさを感じています🌻
自分の“変化”を感じることができている。
まだまだですけどね(笑)
けれど、そんな中でも
相手の気持ちを考慮することは忘れたくないな、置き去りにしたくないなと
考えています🌱きっとこれが、「私らしさ」なんだと思う。
相手の心のオーナーシップを尊重できる、ちゃんと話を聴ける自分でありたいな。
きっとこれから、時間をかけて、
いろんな経験をするなかで
怖さを克服したり、
目の前にいる相手との一瞬一瞬に
向き合っていくことになる。
欠けている部分を補ったり、
度が過ぎる部分を調整したり、
なんなら0から育んでいくつもりがちょうど
いいんじゃないかなと。
目の前の相手と、0からスタート。
一緒にいたいという意志のもと、
相手と話し合って、
2人の関係を2人なりに作っていきたいな。
これからは
オリジナルを、世界で唯一無二を
楽しみたい☺️
magazineから全部読めます🙌