『女性活用』について
東京五輪組織委員会の森会長の発言が波紋を呼んでいます。発言の不適切さは言うに及ばず、釈明会見での対応が火に油を注ぐ結果となり、関係者は火消しに躍起となっているようです。
責任ある立場の方の発言は、その辺りのお年寄りの戯言とは片付けられませんから、しばらく尾を引くことになりそうです。
女性の力を活用していかなければ国家も企業も明日が無いというのは、もはや世界的なコンセンサスだと思うのですが、実際には残念ながらまだまだ旧態依然とした発想の方が多いのはご存知の通りです。
当社でも「女性活用について相談に乗って欲しい」「女性活躍推進の部署を作ったが、何をどう進めれば良いのか分からないのでコンサルティングして欲しい」というご要望を頂くことがあります。
私がいつもお話しするのは、女性の処遇や育成をどうするかという話の前に、まず大前提として男女問わず、その人の会社に対する貢献を
最大化出来るような環境や制度を整えるという発想こそ重要で、かつ組織ですから個人にフォーカスすると同時に、最大公約数的に集団としてのパフォーマンスが最大化出来るような仕組み造りが必要ということです。
その意味では「女性活用」が遅れている企業は、実は「(男性を含めた)人材活用」自体が遅れている企業なのだと感じることが少なくありません。
人材を最大限に活用してパフォーマンスを発揮してもらおうと真剣かつ徹底的に取り組んでいる企業、特にグローバル企業においては、「女性だから」「女のくせに」などという情緒的、非論理的な先入観や言い分が入り込む余地などありません。
個人が力量を発揮しやすい勤務環境や人事制度、労務サービスを構築・提供し、適切な評価を行う。個人の事情と会社の都合とをうまく折り合いがつけられるような制度を整え、不公平や不平等がなるべく生じないようにして、老若男女の従業員がそれぞれの能力を最大限発揮出来るようにする。会社において経済合理性を追求すれば、当然にこういった発想になるはずです。
こう言った努力の一環として「女性活用」があるべきで、単に女性の管理職を増やすとか全社で差別撤廃キャンペーンに取り組むと言ったレベルの話ではありません。
もちろんこれは言うは易しで、本気で取り組むには時間もマンパワーもコストもかかります。実際、取り組み始めて目に見える成果が上がるまでには少なくとも数年はかかります。一時の流行りや気まぐれに終わらない真剣な努力の積み重ねなしには絶対に実現出来ません。
それまでの間、特に古い発想の男性管理職や経営幹部の意識改革に取り組んでおくことは非常に有益だと思います。その際のポイントは、「男だから」「女だから」という色眼鏡でなく、その人個人にフォーカスするよう促すことです。
例えば実際に、ある人の話が無駄に長く会議の生産性を下げているとしたら、会議の他の参加者のために「簡潔に要点を話してください」と伝えれば良いのです。そこに「女性は競争しあうから話が長い」などと言った、過度の一般化と偏見に満ちているとしか言いようのない表現をする必要は無いはずです。
私は綺麗事ではなく真剣に、全従業員の「能力を活かし切る」会社になることが重要だと考えています。人材は活用の仕方でパフォーマンスが大きく変わる経営資源です。「人財」にもなれば「人在」や「人罪」にもなるのが人材です。
これからの時代、女性はもちろん思想や価値観が全く異なる外国人の方、性的マイノリティの方や勤務形態に制限のある障がい者の方などを積極的に雇用し、その能力を活用していけるかどうかが、企業が生き残れるかどうかを分けることになるでしょう。
それは政府機関や非営利組織においても全く同じで、現代の日本においては最早「女は家庭を守るもの」などと悠長なことを言っていたら、
あっという間に時代に取り残されて消え去るしかないのです。
私自身、バブル世代の昭和のオッさんではありますが、妙な偏見や先入観に囚われることなくあくまでも経済合理性の立場から「女性活用」や本来の意味でのダイバーシティ推進をサポートして行きたいと考えています。
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