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『詩』十月様がやってくる

十月様がやってくる
障子に庭木の影が揺れて ほんの少し
部屋が霞んだように陰る
私は畳にたとう紙を広げ
夏のきものをそこに置く
微かに夏の日差しの残り香がある


またひとつ
私は歳を取ったろうか 子どものように
無邪気に笑えなくなった
そんな夏がやっと過ぎて
私はちょっぴり気が抜けたようだ
あのまま続いていたなら 今年こそ
私は嫌いになっただろう 夏のことが


誰にだって
そんなときはあるものだと
私はおもっていたけれど
本当にそうだろうか
たぶん私は疲れていたのだ 歳を取ることに
あるいはあなたのいない日々を
ひとり 生き続けることに


でも十月様はやってくる
神様だろうか? そうじゃない
まっさらな秋障子に映るその姿を 子どもの頃
私はきっと見たことがある そのとき
私はとても寂しかった
今よりも? そう、今よりも
だから今度も
十月様はやってくる


夏のきものをたとう紙に包んで
淡い日差しの残り香と一緒に
私はそれを仕舞い込む 桐箪笥の
薄い 広やかな衣装盆に
そうして秋障子を引き開けると 風が来て
冬青そよごがさらさらと音を立て
赤い小さな実を揺らす 私の目の前で
目元が曇ったのに私は気づく たぶん
十月様がそこに来ている


季節は冬に向かうのだろうか?
紅葉がようやく美しくなったと
北の友人から便りが届いた




十月様、というのがあるかどうか、僕は知りません。たぶん僕の創作です。
原田泰治さんだったかの絵画集のなかに「お正月様」というのがあって、そこからの連想。
と、ここまで書いてはたと思い出しました。「お正月さま」はわらべ唄で、載っていたのは滝平二郎のきりえ文庫『里の四季』、こちらでした。1977年の初版本でAmazonでも検索できなかったので、自分の蔵書から。

滝平二郎きりえの世界 里の四季/takizawa蔵書
向かって左がお正月さまのきりえ

曲のみYoutubeにありましたが、こちらは「お正月がござった」になっている。たぶん同じものでしょう。


話は逸れますが、滝平二郎さんには『ゆき』という、斎藤隆介さんによる美しい物語があって、こちらも大好きで文庫で持っているのだけれど、毎年冬になると取り出しているうちに、製本が危ういことになってきました。こちらは絶版になっているそうで、Amazonにあったけど、たかすぎ君です(汗)。


10月が神無月、神の無い月、というのは俗解で、

神な月→神の月

ではなかったか、というのが頷ける解釈、というのは前にも書いた気がします。
でも今回は神の無い月に乗っかって、神様がいないから代わりに十月様というものがやってくる、そんなイメージ。

ここ何回か、歳を取る、というところに視点を置いて書いています。秋という季節のせいかもしれない。前の、

こちらほど人生観というほどのこともなくて、もっと感覚的なものです。

ソヨゴは常緑中高木で、葉が波打っていて、風が吹くと互いに擦れて音を立てます。秋には赤い実がなって庭木に多く用いられる木なので、取り入れてみました。タイトル画像がそれで、こちらはphotoACから。

まだ夏日ということで、南に下るほど紅葉が遅れているようですね。これからはそんな気分がスタンダードになってしまうのでしょうか。




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