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『散文詩あるいは物語詩』色売り

色売りという商売がある。
街から電車と車を乗り継いで、半日もかけて行った高原の、さらに奥まった林の先に、親父さんが娘と開いた工房がある。親父さんは寡黙だ。仕事の最中に話をすると、思いが混ざって変色してしまうからだという。<色>は繊細なものなのだ。
娘はまだ半人前で、親父さんと違ってお喋りだ。まだ仕事を任せてもらえないからだけど、娘のお喋りが入った<色>は、きっと良いものになるに違いない、親父さんは密かにそうおもっている。
娘は髪を編んで頭に巻き、グレーのデニムのエプロンを身につけている。髪は落ちると怒られるからだし、グレー以外の色は邪魔になると親父さんに咎められる。もっとも街に出るときだって、白いシャツにジーンズという、洒落っ気も何もないのだけれど。


色売りの朝は早い、たぶん日の出よりも。朝焼けの前に一通り、前日までに出来上がった<色>の具合を確かめる。少しでも茜色がかかると、やっぱり変色してしまうのだ。まだ薄暗い工房のなかで、透明な瓶を一つ一つ、親父さんは部屋の空気にかざしてゆく。傍目には瓶のなかは無色透明だし、ほとんど何の光もないなかで、いったい何を見ているのか、娘にはまだこれができない。黙って言われるまま、名前のラベルが貼られた瓶を一つ一つ、手渡しては受け取り、手渡しては受け取り、ときどき親父さんが指先で、別の棚を指し示す。まだ客に渡せないという合図だ。


日が昇って、早い客が<色>を受け取りにやってくる。工房の窓から外を眺め、瓶の一つを取って、親父さんは特別な袋にそれを入れる。光を通さない特別な袋。娘が扉の脇に立ち、客が中に入ると急いで扉を閉める。万が一にも商品に傷がついてはならない。完成したものは滅多なことでは変色しないけれど、念には念を入れ、だ。袋を受け取って、慣れた客なら無駄話もせずすぐに帰ってゆくけれど、初めての客だとそうはいかない。中身を取り出し、決まってまず不審そうに首を傾げる。そうして親父さんに向かって言う、何も入っていないじゃないか。親父さんは何も応えない。代わりに娘が、使ってみてください、説明書も入れてありますから。それでだめならお代は結構です。客はなおも不満げに、何か言いたそうにしながら部屋を出てゆく。親父さんはまた黙って仕事に取り掛かる。しばらく誰も来そうにないのを見届けて、少し離れたロッジに、娘は朝食を作りにゆく。仕事場は、さまざまの色や薬、ときにはシンナーのような臭いもして、とても食事などできないのだ。もちろん<色>作りの邪魔になることもあるけれど。


ところでいったい、親父さんが作っているのは何なのか? ペンキではない、絵具でもない。インクでも、企業の調色とかでもない。それは客でわかると娘が言う。工房を訪れるのは、音楽家にもの書き、演出家、映画監督、それから役者にデザイナー。芸術家とかアーティストとか呼ばれる人たち。画家のような、眼に見える色を扱う人でも構わないのだが、彼らは滅多に来ないらしい。それに、普通の人だって親父さんが断ることはないけれど、<色>はオーダーメイドなのだ。話を聞き、客に合う材料を探し、何日もかけて調合し、練ってゆく。時間も労力も、作業中は緊張の度合いも半端じゃない上に、そこにその人なりの<価値>がプラスされるので、親父さんは結構な金額を請求する。たまに就活中の学生が来ることもあるけれど、値段を聞くと、たいていはチェッと舌打ちをして帰ってゆく。


バイオリン弾きが訪れたときは、オーケストラなどの一員かどうかを親父さんは尋ねた。もっとも聞くのは娘だけれど、一緒の席でじっと黙り込んだまま、親父さんは客のしぐさを見るともなく眺めている。そして、団員だと聞くと、親父さんはついと席を立って行ってしまう。作らないという合図だ。娘が言うには、オーケストラは全員でひとつなのだから、バイオリニストひとりが自分の色を持ってしまってはまとまりがつかない、自分の腕に自信がないならもっと練習をしろということだ。それでも気になるなら、コンダクターかバンマスを連れてくるように。


客の話を聞き、<色>を作ると決まれば娘も結構忙しい。材料の調達は、初めてのものは親父さんでなければできないけれど、どうしても見つからないときは、娘が街の図書館へ行って調べることになる。色彩関連はもちろん、自然科学、物理学、音楽、美術史、テキスタイル、生活全般、果ては宇宙に至るまで、娘はあらゆるものに当たり、メモを取り、コピーを取り、可能ならば撮影もする。そうやって集めた膨大な資料を、親父さんはひっくり返し、読み、睨み、組み合わせ、計算し、そして考える、何時間も、時には何日も。食事やお茶以外親父さんに、娘は近寄ることができない。


色売りという商売がある。親父さんが作った<色>で、街は喜びに溢れ、元気になり、華やかに、そして豊かになり、まれには敬虔な静けさに、そっと包まれたりもする。そんな仕事を娘は誇りにおもっていて、いつか親父さんの後を継ぐのが娘の夢だ。


*タイトル画像はこちらを使用
 guentherligによるPixabayからの画像




グラフィックデザイナーでありながら若い頃は、色を扱うのが苦手でした。今とは違って、Y何%とM何%を掛け合わせるとこの色になって・・・ということを、ほぼ感覚でやっていたので(もちろんカラーチャートはあったけれど、1.5cm四方ほどの色のマスからデザインの広いスペースを想像するなんて、とてもじゃないけど至難の業でした。まして他の色との関係性や見え方、それに企業や商品イメージまで考えると全く・・・)、コンピュータで仕事ができるようになったことを一番喜んだのは僕かもしれない。
とは言え、周りでまだ誰もコンピュータでデザインなどやってない頃に始めたので、画面の色と紙の上の色の違いなんて、誰も教えてはくれません。モノになるまで大変でしたね。
正直、色は今でも得意ではありません。資格とか持っていない割には、人よりは多少わかるかな、とはおもうけれど。

詩? ショートショート? の中の<色>はもちろんそれとは違います。でもこんな仕事があったら、特に駆け出しの音楽家さんとかは助かるでしょうね。それに頼ることがベストかどうか、ま、何にでも良し悪しはあるでしょうけれど。

それにしても、やっぱりこのくらいの長さは好きです。これ以上長すぎると途中で飽きてしまうので。

ちなみに、こちらをイメージされる方がいらっしゃるかもしれませんね。書き上がったあとで読み返してみて、自分でもふとそう感じました。




今回もお読みいただきありがとうございます。
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