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『詩』九月 二題


九月には白樺林のなかの
白い瀟洒なレストランで
彼は仕事をする 透き通る
大きなガラス窓の向こう
木漏れ日を受けて薄緑に染まる
磁器タイルの床を踏んで 最奥の
アップライトピアノに彼は近づく
裏蓋を外すと 昨日の演奏会の残音が 一匹の
小さな蝶となって逃げてゆく
 ⎯⎯音を整える代わり 緊張を
   僕はピアノに与えるんですよ
と彼は言う
彼は調律師なのだ


仕事を終えて
芝生の向こうに村々の屋根を見はるかす
ガーデンテラスに腰掛けていると 強面こわもて
モーガン・フリーマンなマスターが
お手製のフルーツサンドとマスカットを一房 それに
清らかな水の入ったワイングラスを
トレーに乗せてやってくる
サービスだよ、と


テーブルに置かれたマスカットに
彼は音叉でちょっと触れる
その音叉でグラスを叩くと 細い小さな金属音が
ゆっくり同心円に広がって 芝生を揺らし
白樺を揺らし 木漏れ日と
まだ緑の葉を撫でるように 隙間を抜けて
林を包む青空になる


見上げていたモーガン・フリーマンが
からのトレーを持ったまま
彼に向かってウィンクをする
はにかんだような笑顔を
モーガン・フリーマンに彼も返す


音は グラスの中にも染み渡ってゆく
水は音に染められて
うっすらとマスカット色になり やがて
小さな泡を立て始める そうしてマスカット味の
グレープソーダを彼は飲み干す
フルーツサンドイッチとともに


テーブルの上に
葡萄だけが取り残される たったいま始まったばかりの
秋そのもののような顔で


どこかで学校の鐘が鳴る
白樺林のなかを 子どもたちが
見え隠れしながら帰ってゆく
真夏の強い日差しや 賑わいや たくさんの
色とりどりの思い出を浴びて ほんの少し
大人になったように見える
子どもたちが
学校の鐘のあとで 音叉の音は
子どもたちにも届いただろうか?




クロマチックハーモニカが
気だるい午睡を醒ますように 繊細に
ちょっと懐かしい音色で響く
九月にはひときわ高く青空が
ホールになった ガーデンテラスを覆っている
白樺は小節線のふりをして
その実ハーモニカの音に
彼らも耳を澄ませている 小鳥を真似て
音符が枝々に止まるのを
くすぐったくおもいながら


モーガン・フリーマンなマスターが作る
テキーラサンライズのレシピのように ハーモニカを
アップライトピアノが引き立てる
逝く夏と 始まりかけた秋の狭間で
筆でいたように風が揺らぐ


学校の鐘は大丈夫?
白髪はくはつの 上品な婦人が小声で尋ねる
 ⎯⎯今日は休日でございますから その耳元で
囁いたのは誰だろう? 
お得意のウィンクをマスターが送る
すぐ後ろの白樺に


クロマチックハーモニカの
最後の音色が引いてゆく 名残惜しげに
アップライトピアノを追って
九月は夕暮れが早いので 客たちは
それでも去り難そうに腰を上げる そのとき
アップライトピアノの裏蓋と 弦の間に音色がひとつ
取り残されたのに 誰か
気づいた客はいないだろうか?




「九月」というタイトルで二つ、書いてみました。
最初、クロマチックハーモニカで何か書いてみたい、とおもったのですが、そのあと<音叉>をおもいだして、先にⅠの調律師のほうができました。
それからやっぱりクロマチックハーモニカでも書きたかったので、珍しく二つという形になりました。それでも、両方合わせても1,200字に満たない、長くない詩です。

学生の頃、合唱部に所属していたことと、コミュニティペーパーを作っていた当時、取材で調律師の方にお会いしたことがあり、その経験が元になりました。絶対音感があって、しかも技術者で、僕などギターの調律ですらまともにできなかったので、その仕事ぶりには唸らされました。でも、こう言っては失礼かもしれないけれど、どこか浮世離れしているというか、通常とは違う仕事なんだな、というのは感じましたね。

音叉/マサコ アーントによるPixabayからの画像


クロマチックハーモニカは、クロマチック、すなわち半音が出せるハーモニカのこと。こちらの、山下伶さんというクロマチックハーモニカ奏者の演奏を聴いているのですが、

彼女のチャンネルにクロマチックハーモニカの解説があって、その中に、吹き口が上下二列になっているタイプのものが紹介されていたんですね。そのタイプのハーモニカ、僕が子どもの頃に父親が持っていたのをおもいだして、本当に驚き、懐かしくなりました。

山下さんが使っていらっしゃるのはもっと複雑なやつで、ボタンで吹き口が変わるとか、何かすごく大変そう・・・でも、だからこそその演奏は素晴らしく、できれば演奏会などに行ってみたりしたいな、とおもってみたり。
それにしても、まだまだ知らない楽器もたくさんあって、新しいものに出会うとイメージが膨らみます。




今回もお読みいただきありがとうございます。
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