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『詩』永遠がもしあるとすれば

永遠がもしあるとすれば あの人は
幾たびとなく生まれ変わり
今このときも誰かの隣で
リュートを弾いているかもしれぬ
ビルの屋上から足を投げ出し
足下そっかの小さないさかいを 微笑みながら
だまって眺めているかもしれぬ


永遠がもしあるとすれば あなたの隣で
悲しみに涙している人が
もしかしたらあの人かもしれぬ
生まれたばかりで 左右の手に
それぞれ絶望と希望を握りしめ
安らかに眠っているその赤子が
もしかしたらあの人かもしれぬ


永遠がもしあるとすれば あの人は
どこか 地平線のある広い畑のまんなかで
誰でもない 農夫のひとりとして 一心に
黄金こがねの麦を刈り取っていたかもしれぬ
夜には 咽喉のどに熱い発酵酒を流し込みながら
だまって仲間の愚痴を聞いていたかもしれぬ
騒々しい酔っ払いたちから少し離れ
優しい眼をして 哀し気に
彼らのことを見ていたかもしれぬ


もしあの人が 永遠であるとするならば
揺蕩たゆとうている海の波は永遠ではない
限りある昔 星の上に生まれ
ただ揺蕩たゆとうている海の波は 永遠ではない
そしてまた 何千年も昔から
そこに立ちつづけている杉の木は
永遠ではない
彼らは永遠のような顔をしてそこにいるが
始まりがあり 終わりがあるものたちは たぶん
あの人とは似ても似つかぬものなのだ


中央アジアの砂漠のまんなかで
西方の コバルトブルーの宮殿で あるいは
東のはずれのごく小さな田舎の村で
名前すら持たぬ大勢の人たちが
あの人の顔を刻んできた
岩に 木切れに 素焼きの煉瓦に そしてそのどれも
あの人に似ているようでどこか違う
なぜならあの人は近すぎて そしていつも
誰より一番遠すぎるので


永遠がもしあるとすれば ただひとり
それはあの人かもしれぬ
今あなたの眼の前で 他の何ものも見えぬ気に
熱く愛を語っているその人が
あの人でないと誰に言えよう?
昨日 混雑する車内で席を譲ってくれた若い娘が
あの人でないと誰に言えよう?
そして何より
今ここにいるあなた自身が ひょっとして
あの人でないと言い切ることが
きっぱりと あなたにできるだろうか?


揺蕩たゆたう海の波よりも
立ち続けている杉の木よりも
あの人は ずっと昔からそこにいて
そして誰かであり続けている
永遠がもしあるとするならば それは
私を越え あなたを越え
そうしてあの人かもしれぬ 誰かとして
何ものかとして
ひたすらそこにあり続けている
あの人の 顔も 姿も その声も
今は誰も知らぬけれども
実は知っているのかもしれぬ 誰もまだ
永遠を見ておらぬのと同じように




詩のようなものを書き始めてからまだ何日にもなっていないけれど、書いておきたいとずっとおもっていたテーマです。なんのことやらわからないかもしれませんが、ご自由にお受け取りください。
昔の偉人たちによる詩作品も、それこそ #なんのはなしですか  な作品がたくさんあって、彼らがもうこの世に存在しない今、本当の意味をわかっている人は実はそんなにたくさんはいないのでは? などと、開き直りではないけれど、密かに?(いや、おおっぴらに?)おもっています。
書かれたものは、書いた人の手を離れた瞬間から読み手に委ねられるので、ぜひお好きなようにお楽しみいただければとおもいます。

ところでリュートというのは弦楽器の一種で、繊細で美しい音色で知られています。イメージとして他の楽器ではなく、最初に浮かんだのがリュートでした。
ちなみにリュートについてはこちらのお二人を発見しました。勝手ながらご紹介させていただきます。




今回もお読みいただきありがとうございます。
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