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【文学紹介】梅の花に馳せる思い 何遜:揚州法曹梅花盛開

1:はじめに

こんにちは。年始から少しバタバタとしてしまい、投稿が遅くなってしまいました。

上海もここ最近は雨がちで気分も鬱屈とすることが多かったのですが、ふとXで地元の美術館の庭園に今年も梅の花(蝋梅)が咲いた投稿を見つけて、ふと気持ちが軽くなったことがありました。
(大和文華館さんという、奈良にある美術館です。)

Xより大和文華館【公式】さんの投稿

東洋系の美術品の展示を行なっている美術館で、庭園も綺麗なので、日本にいるときはよく通っていたのですが、この時期にはよく梅の花を見に行っていたことを久々に思い出して、とても懐かしい気持ちになりました。

▼大和文華館さんのXアカウントです
https://x.com/yamatobunkakan?s=20

というわけで今回は、早梅にちなんだ詩をご紹介できればと思います。
今回の作者も庭園を見回す中で季節の移ろいを感じ、その中で梅に心を動かされた状況を詩に歌っております。

例によって日本ではマイナーな詩人ですが、見ていただけると嬉しいです。

2:何遜の生きた時代について

まずは恒例の作者紹介と時代背景の解説です。

何遜(かそん)は魏晋南北朝時代、斉から梁の時代にかけての文学者です。
彼の生きた魏晋南北朝時代は、三国時代による分裂から隋による中国全土再統一までの期間の名称として使われています。

三国時代を終わらせ中国を再統一した晋(西晋)王朝でしたが、やがて王朝内部の混乱から外部民族の侵入を招いてしまい、南へと遷都、南京を首都として王朝を存続させることとなります。

南に遷都した王朝を東晋と呼びますが、この東晋以降、南には漢民族を中心とした王朝(=南朝)が、そして北には外部民族を中心とした王朝(=北朝)が興亡する分裂の時代が到来します。

三国時代の中で漢から禅譲を受けた魏をはじめとし、そこから南北に王朝が分裂し興亡を繰り返した時代を総称し「魏晋南北朝時代」と呼んでおります。

『世界の歴史まっぷ』より

南朝は東晋の後、宋、斉、梁、陳と短期間に王朝が入れ替わっており、北朝との戦争に加え、王朝内部では皇帝や皇族、貴族同士の争いが絶えず行われており、非常に不安定な時代でした。

特に貴族については、三国時代に導入された人材登用制度の影響で、上位貴族が重要官職を世襲する仕組みが出来上がったこと、
また南への遷都に際して、どうしても地元有力貴族の支持を必要としたことなどが影響し、貴族の力が増大して行っていました。

彼らは各自でサロンを形成し、その中で文学や芸術、思想などを語り合うこととなり、それが文化面での発展をもたらします。

思想の面では動乱の時代ゆえに儒教を中心とする既存の価値観が揺らぎ仏教や道教への探究が進み、また文学の面では曹操や息子の曹丕らによる文学の発展(建安文学)の土台の上、表現や音律など各方面での研究が進むこととなります。

政治的には分裂と混乱の時代ですが、文化的には豊かな発展のあった時代であったと言えます。

女史箴図(部分) 大英博物館

3:何遜について

何遜は斉の末期から梁にかけてを生きた文学者です。
幼い時から文才に優れており、8歳で詩を作ることができたと言われております。
また20歳の時には州の秀才(長官から優秀な人材として推挙を受けた人のこと)に選ばれるなど、早くからその才能を見出されます。
その文才も早い時期から評価を受けており、当時の文壇の重鎮にもその才能を認められていました。

何遜(刺猬读书より)

しかし彼自身はいわゆる上位貴族の家柄ではなく、寒門と呼ばれる下級貴族の人間でした。そのため都で出世コースに乗る、ということは難しく、一時的に都で仕えていた時期を除き、基本的には幕僚として地方を転々とすることが多かったと言われています。

そのため、彼の詩は友人や同僚たちとの交流や離別、また下級貴族出身である自身の不遇を嘆く内容が多いと言われております。内容からして暗い雰囲気の詩になりがちなのですが、繊細な自然描写や情景描写に長けており、情景をうまく織り交ぜながら自身の心情を表現した詩が多いとされています。

実際彼の詩を読むと、情景が自身への嘆きや不安と混ざり合って、美しい感情として受け取れてしまう場合が少なくないと思っております。

例えば・・・

「露湿寒塘草、月映清淮流(露は寒寒とした堤の草を湿らせ、月は清らかな淮水の流れに映っている)」

「江暗雨欲來、浪白風初起(長江は暗くなり雨がまさに降ろうとしており、波は白立って風が吹き始めたばかり)」

「夜雨滴空階,曉燈暗離室(夜の雨が誰もいない階に滴り、暁の灯火は客室を暗く照らしている)」

『何遜集校注』より(簡体字は筆者により修正。日本語訳は筆者記載)

などなど、影を感じさせるような表現でありながら、細かな自然の変化や微妙な音・光の状況を描写しています。

このような何遜の表現は唐の時代に入ってからもお手本にされており、
杜甫も自身の作品の中で「頗(すこぶ)る陰(陰鏗/南北朝時代の詩人)と何(何遜)の苦(はなは)だ心を用ふを学ぶ」と彼の詩に対する敬意を表しています。

4:次回に続く

こちらも例の如く、前置きが相当長くなってしまいました。

今回も記事を前編後編に分けて紹介できればと思いますので、
後編も懲りずにご覧いただけますと幸いです!


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