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雑記㉗:『決めつけからでは見えないもの』の話をつらつらと

 トップ画像はバナナ…ではない。
 これはこの夏、栽培に失敗したキュウリである。
 食育の一環で自分たちで育て、収穫して食べた。栽培方法は子どもたちが調べたので正規の方法ではなく、不揃いなおばけキュウリばかりだったが、それでも自ら育てた物を食べるのは嬉しい。
 その中で葉っぱの影に隠れ、最後まで収穫されなかったのがこのババナ、もとい、このキュウリである。

 プランターになる黄色いキュウリを見つけたときの、「バナナができてる〜!」という子どもの驚きの顔が面白かったが、かくいう僕も決して農業に強いわけではないので、放置されたキュウリの成れの果てには驚いた。

 調べると、熟すと黄色くなることから、「黄色い瓜」で「黃瓜」というのがキュウリの語源らしい。さらに、種を採って再度栽培するには、この黄色い状態になってかららしく、失敗から思わぬ学びがあり、これもまた食育だった。

 さて、もし保育園が、野菜は必ず収穫しなければならないというルールがあったら、この発見や驚きはなかった。育てた野菜をそのままにしておくなんてダラシがないなんて、昔勤めていた保育園だった言われていただろう。

 保育園では、固定観念的な決まりや関わりがよくある。
 あるやんちゃな男の子が、部屋からセロテープを部屋の外に持ち出した。イタズラな子なので、注意しようとした先生がいたが、実は、間違えて破いてしまった絵本を修理しようしていたのだ。
 一歩引いたり、視点を変えると、同じ行動でも意味が違ってくる。

 新卒の頃、保育士は絶対にジャージを着なければならない、と教えられた。しかし、別の園ではトレーナーだし、今の園は基本自由だ。
 絶対のルールだと思っていた事にはそこまで大きな意味はなく、あの園に居続ければ、多くのバナナだと思っていたものは、バナナのままだったのだろう。

 時として“こうしなければならない”という決めつけは、視野や可能性を狭める。保育の中で、“こうしなければならい”という思いに囚われたとき、この黄色いキュウリを思い出したい。
 バナナかと思ったら全く別の物であるように、新たな発見や理解が待っているかもしれないから。


絵本の紹介。

こんな絵本もありますよ。
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