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高堂つぶやき集。
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#古書道

ハンガリーの博物館で茶を点てた際、収蔵まえの茶碗を使わせていただいた。ご夫人が逝かれたあとに師が焼いた黒茶碗で、現地の客にも愛でられていた。それから三年後の暮れ、師も急逝し、茶碗だけがその博物館に今も収蔵されている。願わくば百年おきくらいに蔵からだし、一服点てて欲しいものである。

人が五感という牢獄に閉じこめられて久しい。たとえ第六感をいれたとしても、その狭さにさして変わりはない。さらに母語が牢獄の鍵として、根強く人を脳内に閉じこめる。ある程度の娯楽が獄中生活でもよしとさせるものの、やはり人は広大無辺の宇宙の外にいるべき存在なのだろう。ASAP脱獄されよ。

ものの良しあしを視る際は、間髪をいれなければ嘘である。間ができれば、思考という名の魔がさしてくる。純粋に生命を感じるか否かで即決されたほうがよろしい。字は概して音の死骸であるが、それでも生命を感じさせる字は存在する。逆に昨今、生命を感じさせぬ人が増えた。駄目なものは駄目なのだ。

靈は霊に堕してから、祝詞箱を意味する「口」を三つも失い、文字通り靈力を失った。人が守護靈に依存するようになった分岐点である。肉がある奇蹟を忘れ、目に映らぬ虚へと逃げた。本来は人が靈を護るべき存在であるのに。このような心意氣を灯せば、日々、靈は肉端会議をしにやたらと人に集まるのだ。