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高堂つぶやき集。
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2020年4月の記事一覧

昔の日本人は湯氣に蚯音や蟹眼、連珠、魚眼、松風、雷鳴そして雷鳴の頂といった名をつけ、その聲を愛でた。湯の聲に耳を傾けなくなって久しい。電氣のなかの出来事に名をつけるのに忙しかったからであろう。今はもうたしかな湯の聲をだす釜も釜師も少ない。それでも私たちは湯の聲を聴くべきなのだ。

ドナウにかかる橋にも鍵がかけられてあった。あたかも外出できぬ未来を織っていたかのように、ひとはそれぞれ駆けぬけてきた。時の流れのなかに鍵をかける。たったそれだけでも、ひとは存外生きていけるものなのかもしれない。その面影が次なる門への鍵をあけてくれると、かたく信じているからだろう。

古代日本では、2をマと呼んだ時期があった。おそらくそこから「間」が生まれ、1があたかもパイオニア氣どりで遅刻して現れた。私はこの2の謙虚さにいつも心惹かれる。いつだって1は暴走し、2は間をとろうとするのだ。だから、私は珈琲にいれるミルクはいつも2杯と決めている。2こそ聖母である。