Kouki Igarashi

21歳/Nikon Z5

Kouki Igarashi

21歳/Nikon Z5

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フィルムのような写真が撮りたいのならZ5でいい話

あなたがカメラを選ぶ基準はなんだろうか。 オートフォーカスの速さ?メーカー?可愛さ? 僕は空気を切り取れるかで選んでいる。 かなり抽象的な表現だが、しっくりくる言葉がこれしかなかったのだ。 とは言っても、こんなものでは誰も納得しないだろう。 空気を切り取る。空気、振動、光や情緒もその一部かもしれない。 僕にとって一番重要なのはそれらを映してくれることで、そのためには高性能は必要ない。 いや、正確にはフィルムの質感こそが僕の求めているものだ。 フィルムの性能をデジタルでそ

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      Sisters' Daily Life #1

      • このコンデジ、最高すぎる。/Powershot G10

        0.コンデジ沼お久しぶり。 どうにも自分のスタイルがまとまらなくて、全然note更新してなかった。 InstagramやXでは全然活動しているので是非。(最後に掲載) 今までの記事からもわかる通り僕はフジフィルムXE-4ユーザー。 、、だったのだけれど、今年の6月頃から迷走し、sigma fp、sony a7r3と カメラを買い替えまくっていた。 少し前まではそんなにたくさん買い替えることは好きじゃなかったけれど、これはこれで気づくことが多かったのでそれは後日、記事にする

        • 【2023】絞った写真のメリット3選

          初めにあなたは普段、f値はいくつで写真を撮っているだろうか。 僕は日々、言葉にならない寂しさを埋める世界を探して写真を撮っている20歳。 5年ほど前からカメラを触り、今までに4台のカメラを買い替え、20を超えるレンズを交換していた僕が行きついた、絞った写真のメリットをまとめた。ぜひ最後まで読んでほしい。 0.絞った写真とは?この話をするにあたって、まず絞った写真とは何かから話す必要がある。 写真には、カメラには、f値というものが存在する。f値とは、どれだけボケるか、ど

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        フィルムのような写真が撮りたいのならZ5でいい話

          いい写真を撮りたいあなたへ。

          この話題を話すにあたって、まずはいい写真とは何かの共有から始めなければならない。主語が大きすぎるというか、こんな話題は一端のアマチュフォトグラファーがあれこれ話す内容じゃないのかもしれない。 だからここで話す内容は将来の自分へのメモみたいなものだ。 初めに僕の結論から言うと、想像できる写真であると思う。 構図、色味、ピント、光の重なり合いで構成される一枚の写真を見るのは結局人間だ。撮り手の意図や、その枠の中で起こっていることを想像してしまう。長い時間その写真に囚われた人ほど

          いい写真を撮りたいあなたへ。

          XE-4を持つ金無しな僕がTTArtisan 25mm f2が欲しい理由。

          XE-4は名機だ。削ぎ落とされたクラシカルなデザインは街中に溶け込む。センサーやプロセッサーはFujiのAPS-Cの中では第一線級で、創る絵はT-4やS-10と大差ない。 問題はレンズだ。 APS-Cのセンサーはそのサイズによって画角が変化する。フジフィルムの場合はフルサイズセンサーと比べて1.5倍望遠になるのだ。 つまり僕が愛用しているXF35mm f1.4も、52.5mmの画角となる。望遠好きの僕にとっては少し広いが、広角よりのレンズを買った人からすれば標準域になって

          XE-4を持つ金無しな僕がTTArtisan 25mm f2が欲しい理由。

          XE-4とXF35mm F1.4 Rが最強である理由。

          XE-4が発売されて、一年が過ぎた。そして、XF35mm F1.4 Rが発売されてから10年が経った。しかしこれらの組み合わせは異色ではない。時を超えて出会った彼らは、私にとってな無くてはならない存在になっている。 XE-4はその小柄な機体からは想像できないほどの性能を秘めている。というのも、この大きさは僕のようなスナップを中心に撮影する人間にとって相性がいい。レトロチックな装甲と、Fujiのカメラの中で最高レベルの写りをする最先端APS-Cセンサー。日常に潜む最高の瞬間に

          XE-4とXF35mm F1.4 Rが最強である理由。

          夕焼けが好きな話。

          季節も春が近づき、コートを手放そうか悩んでいる。 この季節はどうも期待が高い。夏の五月蠅いほどに照らす太陽ならば、逃げ場所があるのだが、春はどうもそういうわけにもいかない。 冬と春の転換期。それが嫌いだ。 夕焼けを見ようと高台へ歩くと、そんなことをしている場合かと風が吹く。 そのくせ、家に閉じこもっていると、冬ではないのだからと外出したくなる。 まあ、どんな季節であれ、僕は夕焼けを見ることは好きだ。写真を始める前から、夕焼けには背中を押されることが多い。照らされた鉄製の建

          夕焼けが好きな話。

          今、情報化社会。

          この時代一番の味方は、自由に言葉を発信できることだと思う。 SNSが普及した現在では、画像や文書を用いて表現できることが格段に増したのだ。周りにいる数人の友人や先輩には理解してもらえなかったことも、表現者としてネットワークに君臨すれば共感者が増える。 時には言語を超えて、または時間を超えて僕らの表現は拡散してゆく。 しかし素晴らしい時代であるとともに、その情報の端は、オリジナルと同じ解釈がされているのだろうかという疑問も残る。 実際、僕たちの知る世界で危機とされている大きな

          今、情報化社会。

          だから僕は、寂しい人間だ。

          僕は写真で何かを変えられると、本気で思ってなどいない。 音楽であれ写真であれ、誰かの表現が素敵で感動したとか、なにか動くものがあったなら、それは初めからあなたの中にあったものだ。 僕に出来るのは、そのきっかけを作ることだけ。 自分の感情をデータにして、その情報体で他人の感情に変化を直接与えることなどできるはずがないのだ。だから、もし何か変わったと思う出来事があったら、それは元からあなたの中に在ったもの。僕にとってみればインフルエンサーなんてのは、きっかけの創り方がうまいだけ

          だから僕は、寂しい人間だ。

          フジフィルム標準域のズームレンズについて。

          XFの標準域ズームレンズを今一度考える。 XF16-55mm f2.8 R LM WRは、35mm換算で24-84mm。全域を通して解放値は変わらず、f2.8と明るさを保っている。また、左手で直感的にいじることののできる絞りリング、静音なオートフォーカス、防塵防滴機能付きと、これさえあれば間違いない万能レンズだ。 画質についても劣ることはなく、単焦点に肉薄する性能を持っている。 XF18-55mm f2.8-4 R LM OISは広角側が27mmのキットレンズだ。だが、キ

          フジフィルム標準域のズームレンズについて。

          どうしようもなく、僕らの世界は。

          小学校のせいだろうか。 幼い頃の記憶は時として、とてつもなく涙を呼んでくる。 季節ごとに匂いが変わることを理解してくれる人は少なかった。金木犀やアスファルト、朝の露の匂いが、脳を刺激する。今日は春の匂いが少しだけ流れている気がする。またこの季節が来てしまったのか。 桜の季節はいつにもなく彩度が増した空が眩しくて、どうしようもなく過去を思い出して、また始めなければならないという義務感が襲ってくる。 春に自殺者が多いのは、始める勇気の出なかった人が多いからだろうか。 いやむし

          どうしようもなく、僕らの世界は。

          ほんの少し、僕の街を紹介する。

          僕の住む街は、寂しさの属性が強い。 それは僕が生まれ育って長いせいか、元々そういう性質なのかはわからない。団地の建ち方や駅の古びた柱、無駄に広い公園のせいかもしれない。 華やかからは遠いところにあるけれど消して荒廃しない微妙なラインに、保存の衝動を駆られるのだ。 鉄塔が等間隔にそびえ立ち、その下をスカートの長い女子高生が歩いている。 夕に焼かれたマンションは影を落とし、孤独に飲まれた人々は居酒屋へ入る。 なんにもない街だけど、僕はこの街が好きだ。

          ほんの少し、僕の街を紹介する。

          XE-4は最高の相棒であるという話。

          写真は、撮らなければ残らない。当たり前の話だが、実は忘れている人も多い。スナップを中心に日常を切り取る僕にとって、軽さは正義。 本来、カメラと一緒に散歩に行くだけで、ほんの少し世界は美しくなるはずであり、その回数が増えることで生活が素敵になっていくものだ。 しかし以前の僕は、そのことに気付いていなかった。Canonのkiss9を使っていた頃は、スナップに無駄な力を使っていたのだ。 持ち運びに関してはバッグを選ぶ時間を割くし、いざ外に出て切り取りたい瞬間を前にしたとき、取り出

          XE-4は最高の相棒であるという話。

          僕らの記憶は。

          近年、稀にみる大規模な災害が僕らを分断している。 しかし僕のような、この世に落ちて十八年の人間にとってみれば、もはや当たり前の世界になってしまっている。いや、それは誰もが同じか。 言葉にならない寂しさを埋める世界は、私の住む町にも存在する。そしてあなたの町にもだ。 写真という技術が、その”発見”をデータに納める前に、私の眼が世界を捉らえている。そして2610万画素をはるかに超えるこの眼は、保存という機能に弱い。記録ではなく記憶の中では、年を重ねるごとに画素数は下がり、反

          僕らの記憶は。

          言葉にならない寂しさを埋める世界を探してます。

          僕の暮らす町も、あの夕景も海も、これほど綺麗で切ないと感じるのは僕だけだろうか。記憶が美化されて本物が殺されてしまうこの世界で、過去の瞬は記憶の中だけに生き続け、誰一人として遡行することは許されない。 蒸し暑かったあの夏は入道雲の大きさだけが印象的で、缶コーヒーを片手に持ったあの日のオリオン座に白い息で靄がかかる。時間と人を繋ぐレールに揺らされふと外を見れば、そこは未知の世界の始まりだった。 本当はみんな孤独で、それを必死に隠すために過去に寄りかかっているのだ。そんな日々

          言葉にならない寂しさを埋める世界を探してます。