いい写真を撮りたいあなたへ。
この話題を話すにあたって、まずはいい写真とは何かの共有から始めなければならない。主語が大きすぎるというか、こんな話題は一端のアマチュフォトグラファーがあれこれ話す内容じゃないのかもしれない。
だからここで話す内容は将来の自分へのメモみたいなものだ。
初めに僕の結論から言うと、想像できる写真であると思う。
構図、色味、ピント、光の重なり合いで構成される一枚の写真を見るのは結局人間だ。撮り手の意図や、その枠の中で起こっていることを想像してしまう。長い時間その写真に囚われた人ほど、素敵な写真だと思い込む。
これは音楽や絵画でも言えることであり、情報量の多いものはそれだけ感じる時間が長いから吸い込まれるように浸れるのだ。
音楽でも、普段では気づかない音がイヤホンで聴いた時では裏のベースやボーカルの息遣いまで感じ取れると、なんだか心地よくなるじゃないか。
絵画が好きな人は、その時代背景や作者の生い立ち、完璧に計算された人物の配置の意味を考えたりする人もいるだろう。
画素が高く高精細な写真がアマチュアや一般人に好まれやすいのは、それだけ情報量が多くなるからだと思う。
写真は引き算である
しかし、写真をやっているとよく目にするのは、伝えるものを伝えるために、いらない情報を省けとういもの。
これには僕も同意している。写真とは引き算であり、足し算ではない。
そもそも世界の何処を切り取るか、という分野の時点で引き算なのだ。
写真のうまさとはそこにあると思っている。
だからこそ、先述した通りその奥に何かあると想像させなければならない。
撮り手の意思?被写体の表情?空を飛ぶ鳥の群れの行方?
機材は好きか。撮ることは好きか。
では、どんなことを意識して撮らなければならないのか。
この記事を見に来た人が一番気になっているのはそこかもしれない。
うまくなるための方法、綺麗に見せるための機材や構図。
写真はたしかに、機材に依存する部分は大きい。
僕の今までのnoteも機材関係ばかりだし、きっとこれからも書く。
大前提として、いい写真を撮るにはあなた自身が写真体験を好きでいなければいけない。
その中には機材関係の動画を見ることが含まれていたっていい。自分が扱う媒体を吟味することは大切だ。
しかし段々と、ハイアマチュアやプロカメラマンのユーチューバーのいい機材に呑まれてしまってはいないだろうか。
これを使えばいい写真が撮れる!と思ってはいないだろうか。
フルサイズが一番いいと思ってはいないだろうか。
僕が定義した人に想像させる写真を撮るには、まず自分が想像することが大切だ。
僕は普段から、インスタやツイッターで自分の好きな写真が回ってくると、この人は何を伝えたくて撮ったのか、なぜ自分がそれに魅かれたのかを考えるようにしている。この訓練が意外と効いているのか、最近では自分の核となるものができ始めてきた。
次に、嫌いな写真の理由を探してみる。
均整がとれていない?白が飛んでいる?被写体がタイプじゃない?
それで少しは自分のことがよくわかるはずだ。
長くその写真を見ない理由はもしかしたら、撮り手のことが好きじゃないのかもしれない。自分の中にある「なんとなく」を言葉にしてみよう。
これを繰り返すうちに、自分の好きな構図や被写体の属性に気付くはずだ。
そして、理屈がわかればだんだんと撮れるようにもなっていく。
最後に
ここまで読んでくれてありがとう。
だらだらと書いてはあるけれど、言葉にできないから写真をやっているんだ!という人も中にはいるだろう。
誰かに伝えるだけが写真ではない。記録でもいいわけだ。
でももし、あなたが写真について深く考え、これからも続ける気なのならば、一緒に意見を交わそうじゃないか。
僕のnoteを見て、自分の中でかみ砕くだけでも十分だ。でももしかしたら今度はあなたの発信を僕が見る日が来るかもしれない。そしたらそれはもう意見交換だ。
写真は、そうやって誰かと繋がるツールでもある。
今後もたまに写真や機材について発信していくつもりだから、
これからもよろしくお願いします。