鳥海かなと

しがない物書きです。 日々考えたことや悩みについて、書き記しています。

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マガジン

  • エッセイ

    読み物としてお楽しみいただけるエッセイをまとめています。

  • 思想・人生観

    自分の思想や人生観が色濃く出ているな、と感じた作品をまとめています。 生きづらさ、漠然とした不安を和らげるヒントになれば嬉しいです。

  • 思索

    日々の生活の中で考えた、小さな思索を書き残しています。 作品に加工する前の天然素材をお届けできればと思っておりますので、鳥海の脳内をのぞく気持ちでお楽しみください。

  • 人気の作品

    特に多くの反響をいただいたnoteをまとめています。 すべて無料公開していますので、目に留まった作品があれば気ままにお楽しみいただけると嬉しいです。

  • 書くことについて

    「書くこと」に関連するnoteをまとめています。

最近の記事

くつひもを「結べる」のか「結ばされている」のか。

最近よく、くつひもがほどける。 道の脇で身を屈め、これまで何百、何千回と行ってきた動作でくつひもを結び直す。その動作を行うたび、とある疑問に頭を支配される。 「なぜ自分はくつひもを結べるのだろう」 ◇◇◇ くつひもを結ぶとき、僕は無意識に蝶結びを行う。だが「結ぶ」という動作は決して簡単な行為ではない。 「普段と輪の向きを反転させて蝶結びをしてください」と言われれば、多くの方は多少なりとも手こずることだろう。 蝶結びを誰からも教わっていない人が、"私たちがなぜか共有し

    • 図書館に住む巨人

      図書館を歩いていると、自分という存在が揺らぐ瞬間がある。 書架に並ぶ本を眺めていると、その人類の叡智に圧倒され、瞬間、自らが世界のほんの一部分でしかないことを自覚する。 これは浜辺から大海原を眺める、あの感覚に酷似している。 私たちは普段、何の疑念も持たずに自らの存在を中心に世界を捉えている。この感覚があまりに当然すぎて、普段は「自分を中心に据えている」意識すら感じない。 世界という舞台に自分が出演(存在)している感覚で、自分も舞台装置の一部なのだ、という感覚には中々

      • 日曜日の歩き方

        道行く人の歩き方を見るのが好きだ。 何気なく「歩く」と一括りにされる行為でも、よくよく観察すると、その動作は千差万別である。 スタスタと速足で歩く人、ゆっくりと踏みしめるように歩く人、大股でズンズン歩く人。 街によって歩き方に特徴があるのがまた面白い。 何が歩き方に特徴を生むのだろう。 それを考え始めると、決まって「目的」という概念に思考を巡らせてしまう。 目的の有無は歩き方に影響を与えるというのが、僕の仮説だ。 分かりやすい例で言えば、平日の朝。 ほとんどの

        • 土を踏む

          今日はなんとなく、気持ちが落ち込んでいた。 なので、土を踏める道を選んで歩くことにした。 僕が普段歩く道は、舗装された道ばかりだ。 舗装されている道は歩きやすいのだが、その歩きやすさゆえ、つい歩みを速めてしまう。 普段は嫌ではないのだが、今日に限っては速足で歩かされるのは御免だった。 土の上を歩くとき、僕の歩みは自然とゆっくりになる。 単に歩きにくいからか、普段味わえない感覚をじっくり味わいたいからか、はたまた野生の本能を思い出すからか。 そんな思考を遊ばせなが

        くつひもを「結べる」のか「結ばされている」のか。

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        記事

          疑わしき この世界

          昨日の夜23時。 僕は晩ごはんの準備をしていて、牛肉を中火でじっくり焼いていた。 牛肉にはコゲが付着し始め、そろそろ火を止めるかと思ったその瞬間、脳内で唐突に思索が始まった。 ◇◇◇ 幼き日の体験がフラッシュバックする。 そこは、地元にある個人経営の焼肉店だ。 ちょっと良い値段がして、日常的に通える店ではない。我が家では忘年会で、この焼肉店に行くのが慣習になっていた。そこで、毎回のように親から言われていたのがこの言葉だ。 「牛肉だからあんまり焼かなくても平気だよ!」

          疑わしき この世界

          【思索の記録 #1】「結論から述べなさい」に感じる違和感について

          「結論から述べなさい」が現代における基本となっている プレゼンテーションやビジネスシーンなど 結論から話すことの目的は? →相手にわかりやすく伝えること →聞き手・読み手に苦労をかけないこと ↳人間、苦労しないことに慣れると、苦労することはしたくなくなる。 難解な文章を読んだり、散乱した話を解釈していくことが億劫になる。 「結論から述べるべき場面」と「結論から述べる必要のない場面」を判別する力が求められるのではないか。 従来コミュニケーションを円滑にする手段だった文体

          【思索の記録 #1】「結論から述べなさい」に感じる違和感について

          やっぱりカフェが好き日記

          今日はてんでダメな日だった。 いや、違う。 正しくは「今日 "も" てんでダメな日だった」だ。 お盆が明けてから、ダメな日が続いている。 僕は家だとまったく集中できないため、普段は外に出てカフェで作業をすることが多い。 読書や勉強はかろうじて家でも集中できるのだが、デジタル機器が絡む作業はさっぱり。 言わずもがな、無限ネットサーフィン編に突入してしまうからだ。 今日は日中に家で用事があり、外出が夕方以降になる予定だったのだが、天気は不安定。 空は雲に覆われており、

          やっぱりカフェが好き日記

          わたしの心を守ってくれる内省の思考法

          自分がnoteで記すべきは、自己との果てしない対話の過程なのではないか。 その想いは日に日に強くなっていき、確信に変わった。 自分が書くべきこと、自分にしか書けないこと、自分が人生で成したいこと。 そんなことを考えていると、決まって、僕という人間の特徴は「内省」だという結論に至る。 逃れられない苦痛や辛い経験に、内省を通じて何らかの意義を見出すことで、僕は心を守ってきた。 「あの辛い経験も今の自分に繋がっているんだ」と自分を納得させることで、騙し騙しではあるが、心身と

          わたしの心を守ってくれる内省の思考法

          哲学者から学ぶ、文章を書くときの心構え

          哲学者から学ぶ、文章を書くときの心構え

          哲学者から学ぶ、文章を書くときの心構え

          言葉の硬度

          スマホから初投稿です。 短時間で収録できるのよいですね。

          時空

          自分が過去に訪れた建物の跡地を通ると、強い郷愁の念に駆られる。 かつて自分はあの何もない空間に存在していたんだな、という考えが頭を巡り、自分が自分ではなくなるかのような感覚を覚える。 ◇ その昔、足しげく通っていたボウリング場が取り壊された。 ボウリング場は、たしか5階くらいに入っていた気がする。 数年の歳月が経過し、更地になった空間の5階ほどと思われる高度に目をやる。 すると、幼い自分が球を放っている様子が脳裏に浮かんでくるのである。 かつて自分は、あの空間を歩くこ

          執筆は夜の力を味方につけて

          現在、深夜1時30分。 こんな夜更けに、なぜかnoteを書き始めてしまった。 特に書きたいことがあったわけではない。 理由はわからないが、夜はnoteが書きたくなる衝動に駆られるのだ。 「深夜テンション」という言葉があるが、たしかに夜は日中と比べておかしなテンションになりやすい。実感としては極めて微弱なほろ酔いの状態に近く、考えていることを話したい欲求も強まるのかもしれない。 僕は日中、かなり考えて文章を書くタイプだ。 加えて「やっぱりこれは良くないな」「世に出すことで

          執筆は夜の力を味方につけて

          久しぶりにnoteでつぶやいてみる。 同じつぶやきでも、Xでつぶやく時とは少し感覚が変わる気がする…!

          久しぶりにnoteでつぶやいてみる。 同じつぶやきでも、Xでつぶやく時とは少し感覚が変わる気がする…!

          街を眺む

          時折、視界に映る景色の千年前の姿を夢想する。 僕の眼前で威圧的にそびえ立つビル群は、たった百年前ですら存在しない。 ほんの短い歳月で、これだけの事業を成した先人に感服するばかりである。 しかし同時に、世界のなんと儚いものか、という感情が生まれてくる。 この街が栄え、衰退するまでの時間も、この世界にとってはほんの一瞬の瞬きに過ぎないのだろう。 そんなことを考えていると時間とは一体何なのだろうな、と考えてしまうが、毎度襲ってくる灰色の波に飲み込まれぬよう、脳内で防波堤を築く。

          歩くことについて

          今日はすこぶる執筆の調子が悪かった。 …ので、とりあえず何か書いて調子を戻したいと思い、いま思いついたことをそのまま文章にしている。 今日、関東は一日中雨だった。 ほぼ毎日カフェに出勤する僕も、さすがに今日は雨の中移動する気持ちにならず、家で過ごすことにした。 僕は家で作業することがすこぶる苦手であり、今日の不調は案の定、という感じである。 なぜ家での作業が苦手なのか、それはコロナ禍で家から出られなかったあの時期に、嫌というほど考えさせられた。 誘惑が多い、メリハリが

          歩くことについて

          愛しの4冊のメモたちを眺めながら、紙のメモの魅力を考えてみた

          先日、エッセイストの中村洋太さんとお話をしました。 その際、中村さんが特に強い興味を示されていたのが、僕が普段持ち歩いている4つのメモ(うち1冊は手帳)。 たしかに、スマホですべてを完結させていた数年前の自分に、 「君は数年後、紙のメモを4冊持ち歩くようになってるよ」と伝えたら、「そんなバカなw」という反応をすると思います。 だって、遅いし、重いし、かさばるし、スマホで完結させた方が楽で効率的だもの…。 正直、この感覚は今でも変わっていません。効率的に情報を管理するの

          愛しの4冊のメモたちを眺めながら、紙のメモの魅力を考えてみた