ライオンの口からお湯が出てた
= 貧乏な家には「平ら」がない =
昔からよく言われる俗諺(ぞくげん)。
映画『ラストマイル』
明らかにアマゾンと思われる巨大ネットショップの倉庫
「平ら」がない。唯一あるのは、床
荷物をコンベアで運ぶのは機械だが、棚から商品をピッキングするのは人間。
正社員はわずか7名、ほかは非正規雇用社員。
朝の出勤時の非正規雇用社員たちの群れ。まるでライブ会場に向かう人々みたい。何万人といる。
『ラストマイル』を観て、思ったのが
= 日本の貧しさ =
巨大倉庫には「平ら」がない。
ブラックフライデーセールで続々注文が入るが、
その荷物を各家庭へ運ぶドライバーに支払われるのは1個150円。
頑張って一日200個運んで3万円。
12時間働いたとして時給2,500円。
ドライバーはアマゾンの委託運送会社の下請け、個人が大半。この収入から保険やら税金やら支払う。
映画では、70超えた父と40超えた息子が二人で一台の小型バンに乗り込んで運ぶ。車内に「平ら」はない。荷物でいっぱい。
仕事の量・質に対してあまりにも安い。
それらの荷物をネットで買う家庭も、決してお金持ちじゃない。映画に出てくるのは中学生と4歳の娘二人を抱えたシングルマザー。
結局、この中で一番「儲けている」のは巨大ネットショップのアメリカ本社だろう。
社員すら、簡単に切って捨てる。社員が倉庫内で瀕死の重傷を負っても、気になるのは荷物の配送がストップしないかどうか。
Customer-centric 全てはお客様のために
と麗句を並べているが、要するに、倉庫のピッキング担当(非正規雇用社員)、配送会社、配送ドライバー、お客さんすべてを「お金儲けの道具」としか、定義できていない。
= 人として、貧しい =
資本主義は、もう、ぎりぎりになってるんじゃないか?
崩壊寸前な気がする。
『体験格差』(今井悠介、講談社現代新書)
あるシングルマザーの家
息子が突然正座して、泣きながら
「サッカーがしたいです」
格差が生まれている。
サッカーや野球をしようと思えば道具、ユニフォーム、遠征費用・・・などなどお金がかかる。家が苦しいのは息子にもわかる。だからがまんしてきた。でも、どうしようもないところまできてしまった。お母さんにお願いするしかない。
スポーツ、観劇、美術館、音楽ライブ、旅行、ハイキングなどの「体験」を「したいと思えばできる」子どもと、「したいけれどもできない」子ども。はっきり、分断している。
さまざまな要因があるが、やはりいちばん大きいのは経済格差だろう。無い袖は振れない。
『体験格差』によれば、年収300万円未満の「低所得家庭」では子どもたちの「体験」が平均的に少ないというだけではない。「体験の機会が過去1年間でゼロ」という子どもたちが全体の三分の一近くにまでのぼる。
小中は、地元の公立だった。
住んでいるエリアが同じなので、経済格差を感じることはなかった。
当然、体験格差もない。
ところが、高校で大阪教育大学附属池田に行って、経済格差を感じた。
今も昔も、「受験ができる」「塾に行ける」「家庭教師を雇える」家庭はお金持ちなのだ。
高校自体は国立なのだが、同級生はみな、お金持ちだった。幼稚園から「お受験」をして合格した人たちばかりで構成されている。
ソニー創業メンバーの子がいて、彼のお風呂はライオンの口からお湯が出てた。
1975年(昭和50年)に開催された沖縄国際海洋博覧会、いわゆる海洋博。
「行く?」と誘われた。沖縄なんて、飛行機乗らな、行かれへんやん。そんなお金、うちにはない。彼らは「ちょっとそこまで」のノリで、誘い合い、出かけてた。
体験格差が大きかった。思えば、昭和50年の当時から既に。
高校3年生、受験のややこしい秋に宝塚在住の同級生と付き合い始めた。宝塚南口にあるレストランで生まれて初めてピザなるものを食べた。彼女の自宅に遊びに行って、初めて「カフェオレ」というものを飲んだ。
体験格差が大きくなったということは、日本は相対的に貧しくなった、ということだ。
これは世界的にも同じで、収入を増やした富裕層はごく一部であり、残り大半は貧しくなっている。
このあたりを見ても、やはり各業界で、ピボット(pivot)、戦略転換とビジネスモデルの更新が必要だと思う。強く思う。
集客の科学を急ぎ、体系化します。
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