マーケティング・ネオ、始めます。
The Economistが「2025年、世界はどうなる」特集号表紙にイーロン・マスクを選んだ。コピー「Disrupter-in-chief」(最高革新責任者)。
Zanny Minton Beddoes編集長によれば
「イーロン・マスクは車の製造をreinvent(再発明)し、宇宙旅行を再発明し、そして今度は政府を再発明しようとしている」
イーロン・マスクはまさに現代資本主義の、現代マーケティングの体現者であり、それは
求めて
求めて
求めて
得て
得て
得て
得られなければ
I can’t get no satisfaction 満足できない
得て
得て
得て
すべてを得たら、今度は得たものを失うことにストレスが生まれる
要するに、白い陣地をどれだけ塗りつぶせるか
ほんの数ミリでも空いていたら納得できない。満足できない
これをマーケティングでは「シェア」という。
別のある人(ぼくが以前『シャドー』と呼んだ人)の動きがこれと同じで、「挑戦」しつづけている。
寝る時間も惜しんでがんばった結果、大きな成果を得ている。
そのやり方は再現性があるよ、だから同じようにやろうね
とオンラインサロンでシェアしているが、ぼくの意見では、「彼だからこそできること」であり、もはやマス広告化している。
だから、誰でもできるわけではない。
そして、このままいくと
得尽くす=満足する
ことのない無限地獄が待っている
ただ、マーケティングを専門にやっている立場からすれば
フォーカス・マーケティング&ファンベース・マーケティングの行き着く先が
マス・マーケティング
になるとするなら、
それはビジネスの世界にJOY+WOW+LOVE and FUNの総量を増やすことより
むしろ「満足できない苦の連続を生産する」ことになる。
そもそもマーケティングとは「コントロールしよう」とする営みだ。
しかしながら、コントロールした結果「得て・得て・得ても」
待っているのが
終わらない無限地獄
だとするなら、マーケティングなど、やらないほうがいいことになる。
今朝、歩いた。
大阪市役所前の、サンタさんに扮したミャクミャク見ながら、この
マーケティングのパラドックス
に気づいた。
マーケティングを再発明する必要がある。
仮にこの新しいマーケティングを「マーケティング・ネオ」と呼んでみる。
どうデザインしようか。
待てよ。昨日観たとんでもない映画がヒントになるんじゃないか?
ニコラス・ケイジ『ドリーム・シナリオ』
何百万人もの人の夢に、同一の男(ニコラス・ケイジ演じる大学教授)が現れる。
夢のストーリーは各自違うが、登場するのは同じ男。
人類の集合的無意識(仏教でいうところの阿頼耶識(あらやしき))の存在が証明されたことになる。
そこからが面白い。ネタバレになるから言えないけど、マーケティング・ネオのとっても良いヒントになった。
集合的無意識(阿頼耶識)は、要するに、人類全体の無意識のクラウドであり、アーカイブだ。ゼロ・ポイント・フィールドと呼ぶ人もいる。
そこにアクセスすれば、「共感」「好感」が得られる商品の伝え方ができるんじゃないか?
無意識をコントロールなどできないのだけど。
たとえば、これまでのヒット作はすべて、集合的無意識にアクセスするなにかトリガーとなるものがあったのではないか?
そのためには
集合的無意識(阿頼耶識)についての知識だけではなく;
刺さる文章を書くコピーライティング力も必要、ネーミングの技も必要、基礎知識としてのフォーカス・マーケティングも必要。
精神力だけでは、利益を出せない。
マーケティング・ネオ、始めます。