[42/1000]自分を知って愛したいんだ。
42日目
引き続き、書いてみる。
昨日、私はひどく落ち込んだ。息子のことで他に迷惑がかかっているということを言われたからだ。
それは私も薄々感じていたことだったけど、手がつけられず、見守るという形の放置をしてしまっていたからだと自分を責めた。
私がいけなかったのね・・・と。
言ってくれた人は優しく傷つけないように伝えてくれたのだけど、親として未熟、もっとこうしたらいいのに、なんでできないんだ?何でしないの?なんで無関心なの?もっと導いてあげてよ、もっと見てあげてよ、と集中砲火を受けているように感じてしまって私は固まってしまった。
何をどう反応していいかわからない。涙が溢れてくるのを堪えるのに必死だった。
誰もわかってくれない。この気持ちが涙の正体で、それは私の涙でもあり息子の涙でもある。
息子も自分の思いを誰にも伝えられず内側に閉じ込めているのだろうか。
きっと私が感じているこの重苦しさと同じものだろうと直感的にわかる。
きっと私がそういう人間だから、息子も同じように育ってしまったんだと自分を責めずにはいられなかった。
素直じゃない、弱みを見せられない、理想が高い、プライドが高い、できないところを認められない、サボりたい、楽していたい、など、私と息子はそっくり。
だからか。
直接的にこういうところがダメと言われたわけじゃないけど、相手から息子のこういうところがダメなんだと言われているんだなと感じた時に、それって自分にあるものと同じものだから、私がダメだと言われているのと同じに感じてしまって、それで悲しくなってしまったんだんだと思う。
人が傷つくのは、
・言われたことが図星だった時
・そしてそのことをダメだと自分で思っている時
の二つが重なる時だそうだ。まさに、今回はその通りだった。
誰もわかってくれない、というものの中身は何かというと、私だってこんなに頑張っているのに・・・ということと、どうして自由にさせてくれないの?コントロールするの?ということ。
いろいろ言われた時に、いや、私もこんなふうに伝えたり対処したりはしてるんです、と言えなかった。そして、トンチンカンな答えをしている夫を見て、そういうことじゃない、とも思った。
夫から出てきた案は、生活習慣を見直そうというもの。いや、それ、ただあなたが管理して安心したいだけじゃない?それが窮屈でこうなってるってわからないの?と思った。時間で縛らないで。感情を無視しないで。そう言いたかったけど、そんなものは一蹴されるとわかってたから飲み込んだ。飲み込むのは悪い癖だけど、またやってしまった。
でもこれに関しては、生活習慣を見直すことはトンチンカンでもないかもしれないと思ったので受け入れることにしたのです。というのは、まず生活習慣が良くなることで「安心・安全」の土台が築かれるかもしれないと思ったから。
今の問題行動は、もしかしたら生活や人生や家庭や学校、いろいろあるけど息子が「安心・安全」を感じることができていないからかもしれない、と思ったので、それを築けるならそういう入り口もありかなと思ったのです。
コントロールされる感は否めないけど、生活習慣を整えることで土台が築かれたらいいよね。そして「安心・安全」の土台が築かれたら、生活全般、人生全般が生きやすくなるね、と思ったので。
と言っても今生活習慣がものすごく乱れているというわけではないので、さらに苦しくならないか、そこは注意しながら見ていかないと、どんどん窮屈になるだけだと思うので、気をつけたいと思う。
そう、話を戻すけど、本質的なところをわかってもらえてない感が否めないのよね。
でも、落ち着いて考えてみると、わかってもらえなくてもいいのかもしれない。相手の全てを理解するなんて無理だもの。私は夫を理解できていないし、彼のようにスケジュール通りの機械みたいな生き方もできない。それでも一緒に暮らしていて、日々の暮らしを支えてくれてたり、私にはできないような提案をしてくれるので、それはありがたいこととして受け取ってもいいと思うのだ。
本質的なところなんて誰にもわかってもらえない。
わかってもらおうとすることのほうが無理ゲーなんじゃないかな。
わかってもらえなくてもそのまま進んでいい。
わかってもらえることが大切なんじゃない。
だって私だって相手のことわからないもの。
わかり合えない相手だからこそ尊重し合うことを学ぶのではないかな。
でも昨日出てきた答えは、
自分を知りたい、わかりたい、と言っている。
これはどういうこと?
あ、自分を知ることだけでいいということだ。
自分を知って自分を愛せれば、相手のことも愛せるようになるんだね。
これが今の私のボトルネックの解決策なんだろうなぁと漠然とだけど直感的にそう思う。
だから少しずつ心理学を学んでみようと思う。
そして自分をもっと知っていこうと思う。
そして早速見つけた言葉が「HSP」
これまでも見て知ってはいたし、息子のこともそうかもしれないと思ってたけど、「あ、これ私もじゃん」と認めたのはついさっき。
診断もやってみたら中程度のHSPだそうです。笑
こういうの、名前をつけるのはレッテルを貼るようで好きくないけど、今回は腑に落ちたので、まぁ「あ、そっか、そうなんだね」くらいの受け取りで、HSPだということを受け入れてみようと思う。
もっと自分のことを知っていきたい。そして自分を愛したい。
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