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晴れを待つ
『ギャツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。……そうすればある晴れた朝に――
だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。』
F・スコット・フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー」より
こんばんは。みなさまいかがお過ごしでしょうか。今日は私は昨日遠出した疲れが抜けずに丸一日何も出来ませんでした。季節の変わり目だということもあると思いますが、正直今週はずっと休んでいたい、と思ってしまうほどの調子の悪さなのでだいぶ困っています。
うつ病と不眠症を長く患っている私には、もう何もせずにただ眠っていたい日、消えてしまいたい日、布団から丸一日出られない日がたくさんあります。最近なんてそんな日の方が普通の日より多いくらいです。正直、前向きな話なんて出来そうにないです。そんなときに、作家フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」の締めのこの言葉を思い出しました。
『ギャツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を。それはあのとき我々の手からすり抜けていった。でもまだ大丈夫。明日はもっと速く走ろう。両腕をもっと先まで差し出そう。……そうすればある晴れた朝に――
だからこそ我々は、前へ前へと進み続けるのだ。流れに立ち向かうボートのように、絶え間なく過去へと押し戻されながらも。』
これを読んだとき、私は、数多の困難はあれど私たちは結局前を向いて生きていくのだ、と思わされました。
作中でギャツビーが叶わない希望を持ったまま虚しく死んでいったように、人は希望を抱くものだけれど、それが叶う保障なんてどこにもありません。叶った希望より、届かない、あるいは届かなかった希望の方が多いと思います。
それでも、自分の希望が叶わないと分かっていても、人は心のどこかで希望を抱いてしまう生き物なのです。
どんなにしんどい日でも、お風呂に入って布団に入って朝を迎える頃には、どれだけ無欲だった心も、ああ、あれが欲しい、これが欲しい、と思い始めるのがいい例です。人は希望無しには生きていけないのです。
どんなに細やかな希望でも、希望を抱いた人は、それを叶えるために毎日努力をします。目に見える努力ではなくとも、無意識のうちに夢を叶えるのに近づくような行動を選びます。
そのような小さなことを積み重ねれば、きっと、ある朝に思いがけない晴れが訪れるのです。
辛く忘れられない過去は、絶え間なく私たちを後ろへ引き摺り下ろそうとしてきます。それでも、私たちは、今は雨ばかりでも、いつか来る晴れを信じて毎日ただ前へ前へと走り続けるのです。緑の灯火を追いかけたギャツビーのように。
これを読むあなたが晴れ間に恵まれますように。それではまた明日。