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カーテン越しの朝を歩く

春の明け方。枕草子でも詠まれているその時間は、世界すべての輪郭がどこかぼやけていて、本当の私は実はまだ眠っていて、ここは夢の中なのかもしれない、と思わせる。でも、まだ七分丈を着るには肌寒い、澄んだ空気は、これが夢ではなく、確かに私は起きてそこに立っているのだ、と教えてくれる。私は、そんな時間が好きだ。


こんばんは。みなさまいかがお過ごしでしょうか。私は今日は講義がなかったので家でのんびり鉱物標本を眺めたり最近ハマっているソシャゲのトワツガイを進めつつ、ゼミで使う教材を作成して人数分印刷しました。私のゼミはイギリス詩、特にシェイクスピアとメアリーロス(ウィキペディアではロートと書かれているが教授はロスと呼んでいる)を学ぶゼミで、毎週各作家の作品を一つづつ扱います。その教材として、作品の訳と注釈、疑問点、感想をまとめたレジュメを生徒が作成したものを使うのです。このレジュメ作りはかなり大変ですが、それ以外の課題はとても軽いのでこのゼミだけは調子があまり良くない時でも参加出来ています。


前にも書いた通り、私は長年不眠症を患っていて、季節の変わり目である最近はあまり調子が良くなく、夜中まで眠れないと思えば明け方の5時には目が覚めてしまいます。そのまま寝るのも手間がかかるし、何よりせっかく普段起きていない時間に起きられたのだから、と、早く目が覚めた日は、サッと適当な服に着替えて、最低限の荷物だけ持って散歩に出かけます。

春の明け方というのは不思議で、冬の明け方のように暗いわけではないし夏の明け方ほど暑くはないけれど、明るさも気温も輪郭も全てが曖昧で、気を抜けば明け方の誰もいない世界に自我が溶けてしまいそうになります。カーテン越しの世界のような、現実味のない世界は、まるで、私の好きな映画「ロングデイズ・ジャーニー」の夢うつつの世界のようだ、といつも思います。日が暮れる逢魔時に魔物が現れるなら、同じく昼と夜が移り変わる明け方、特に春の明け方、にも魔物はいるのではないか、とも思ったり。


散歩コースは毎回決まっていて、マンション街を抜けて家の前を走るバスの終点のロータリーまで歩いて、そのあと来た道を戻り、今度は近所のコンビニに行って、おにぎりを買って、近くの公園で食べて戻ってきます。早朝の、ほとんど棚が空なコンビニの中でも、私が食べる、おにぎり2つとおかず少々の400円ほどのセットはいつも私を待っていてくれます。隣に並ぶカツサンドが同じ値段であることを考えると、おにぎりが2つも食べられるうえにおかずまでついているこのセットはとてもお得に思えるのと、あとは普通に美味しいのとで、毎回決まってこのセットを手にして公園へ行きます。
公園に着く頃には犬を連れた散歩者がちらほら現れ始めていて、明け方が朝に変わりゆくのを感じながら、ゆっくりと朝の空気と青々とした木々と共に朝食を取ります。
家に帰り着く頃には大体30分ほど経っていて、ほとんど眠らず散歩した疲れで眠くなっているので、そのまま再び布団に入りまたしばらく眠ります。

毎日ではないけれどほとんど同じ時間に起きて散歩をしていると、確かに昼の領域が次第に広がりつつあることを感じます。ああ、夏がやってくる。私は春のぼんやり、のんびりとした感じが好きなので、全てを焼き尽くす夏はあまり好きではなく、春の終わりが心惜しく思うのですが、そんな私の思いが通じるはずもなく季節は移ろいゆきます。そろそろ夏服を出さないとな、まあ私は年中長袖だけど、なんて思いながら散歩をするのです。

これを読むあなたが素敵な朝を迎えられますように。それではまた明日。

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