私の名前を覚えて帰って
私が創作をする理由の一つに、死にたくないから、という理由がある。普段から死にたいとばかり言っている私が生きたくて絵を描くのは矛盾している。でも、希死念慮の死にたさと創作での生きたさは違うのだ。
人は、自分以外の人みんなに忘れ去られたときに本当に死ぬ。その意味で言えば、ダヴィンチやゴッホは永遠の命を与えられたも同然だ。私は彼らが羨ましくて仕方がない。私だって、せっかく生まれたのなら、体が死んだら何も残らなかった、なんて嫌だ。別に人生は派手でなくて良いから、長生きなんてしなくていいから、肉体が朽ちても人々の心の中でずっと生き長らえたい。後世に語り継がれる作家に、画家になりたい。これはきっと承認欲求を拗らせた結果だと思う。でも、そう思って足掻く人生も悪くない、と思う自分がいるのも確かだ。
だから私は今日も絵を、文章をかくのだ。忘れないでね、と、念を押しながら。