読書紹介57「硝子戸の中」
感想など
「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「こころ」など、小説家、夏目漱石のエッセイ集です。実際にあった出来事から思いふけった事、思索したことなどが書かれていて、小説の内容とは違った味わいがある本です。
夏目漱石本人が、どんな人だったか、その人となりが見える話が多く、中でも私は「6・7・8」の見ず知らずの女性が訪ねてきた時のエピソードが好きです。
女性が何を語ったかはは書かれていません。
ただ綴られた文章から、かなり、大変で、苦しい、つらい経験をされている、そして死をほのめかすほど思い詰めている感じが伝わってきました。
女性は、自分の話をした後、小説に書くとしたら、自分のような女性をどう描き表すか、最後にどう始末をつけるかと問いつつ、
「こんなつらい、苦しい経験をした自分は、このまま生きていても良いのか」
と投げかけていきます。
ここで、私なら…と考えると、何か良いアドバイスをしなきゃとか、ただ闇雲に「がんばってください」と励ますかぐらいしかできないだろうなと思いました。
しかし、漱石は違いました。
「黙って女のいうことを聞いているより外に仕方がなかった」
自分にはどうすることもできないからこそ、唯一できる真剣に話を聞くことを通じて、重苦しい沈黙の時間を過ごします。
・ある意味、名カウンセラーだと思います。
カウンセリングにもいろんな手法がありますが、根本、基本に「共感的に話を聞く(共感的理解)」があります。
安易に励ましたり、アドバイスをしたりできるのは、相手の話に共感していない状態です。本当に、相手の大変さや苦しさを感じていたら、漱石のように言葉が出てこないのではないかと思いました。
やがて11時になり、女性が帰ることになります。
そこで漱石は、夜が更けたから送っていって上げましょう」と一緒に外に出ます。
しばらく歩いたところで、こんなやりとりがあります。
「先生に送っていただいては勿体のう御座います」
「勿体ない訳がありません、同じ人間です」
しばらして
「先生に送っていただくのは光栄で御座います」
「本当に、光栄と思いますか?」
「思います」
「そんなら死なずに生きていらっしゃい」
光栄だと思う心があるということは、わずかでも生きている意味があるということ。女性のそんな気持ちを察して「生きていらっしゃい」と言う漱石。
考えてみたら、この女性は、漱石と関係が深かった人ではなく、見ず知らずの人です。それにもかかわらず、ちゃんと時間をつくって話を聞き、一般論や安易な助言、励まし、損得などで考えず、謀(はかりごと)もなく、自分の素直な気持ちをぶつけた一言。真剣に考え、真摯に向き合って出た一言です。
「大きなやさしさ」をもった人、夏目漱石。
「やさしさ」と言う言葉が、さまざまな場面で使われますが、本当のやさしさって、こういうことを言うのではないかと考えさせられました。