Nina

毒親に育てられた私が母になって

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毒親に育てられた私が母になって

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自己紹介:はじめてのnote

初めまして。不慣れですが愛おしい我が子達の為に、 そして自分の為にnoteを始めてみます。よろしくお願いします。 自己紹介 初めまして。nina・30代・0歳と3歳のママです。 ここ数年前になって、あぁ私の母は毒親だったんだなと知り それでも自分には解ってくれる人も支えてくれる人もいる。不幸ではないと前向きに生きていました。子供の頃の経験から将来幸せな家庭を築くことが最大にして唯一の夢でした。それが叶った今、母になったことにより母から受けた精神的虐待のフラッシュバックで精神

    • テディベア

      入院中、母の事で辛い思いはたくさんしたが 1番許せず辛かった事がある。 母はたまに交際相手を連れて面会に来ていたが その際、その交際相手から見舞いの品があったりした。 お菓子や小さな雑貨だ。 私は心を殺して感謝し 本当に喜んでいると相手が満足できるような演技をして 2人が帰るとベッドの枕の下や 備えつきの収納の奥底に隠した。 捨てれる大きさのものはすぐに捨てた。 夜になると父が来てくれるからだ。 妻帯者と自慢げに交際し女として優越に浸っている母。 上から目線で何の繋がりも

      • 無償の愛

        父の事を書こうと思う。 母に心理的虐待を受け 未だに闘病中で、辛くなることも多い中 それでも息子達や夫をちゃんと愛せて 母として妻として、そして良い人間として 前を向いてやっていこうと思えるのは父のおかげだ。 私に無償の愛を教えてくれた父のおかげだ。 両親の離婚後、私が入院しなければならない程 痩せ細っていた事を父は私が入院するまで知らなかった。 母の機嫌が悪くなるので父とは交流が途絶えていたのだ。 約1年の入院生活で父が面会に来なかった日は1日もない。 職場は病院から

        • 摂食障害

          入院中、母はたまに仕事の合間をぬって面会に来た。 しかし私の体調や病状を気にするでもなく 職場への不満、同僚への不満など とにかく誰かへの不満を私にぶちまけた。 私は笑顔の仮面をかぶってひたすらその時間を耐えた。 たまに意見、例えば ”こういう風に考えたらどうかな?”等言ってしまうと 大きな声で ”ママを馬鹿にしてるの?!お前は何様か!  せっかく忙しい中来てやってるのに!” などと怒声をあげ ベッド周りについている仕切りのカーテンを 大きな音を立てて乱暴に閉め帰っていった

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        自己紹介:はじめてのnote

          摂食障害

          両親は私が中学1年生になるのを 目前にして離婚した。 離婚してから、私は更に自分の事しか見なくなった。 ふと、自分の体型が気になった。 私は少しぽっちゃりしていた。 中学入学までに痩せよう。 始まりはそんな些細な考えからだった。 母に認められたくて相変わらず勉強に没頭していたが そこにダイエットが加わった。 摂取するカロリーを細かく病的に記録し、意識し、 気がつけば 1日にカロリーメイトを1本しか食べないという 状況になっていた。 実際は痩せ細っていったのだが 当時の私

          摂食障害

          両親の離婚

          小学5年生頃から父と母の喧嘩が増えた。 一緒に住んではいなかったが 母と祖母(姑)の仲もすごく険悪だった。 子供なので何故なのかは分からなかったが 祖母の家で父・母・祖母の3人で 話し合い、または口論することもあった。 この時1番記憶に残っているのは 話し合い後、泣いている母に姉妹3人で ティッシュを1人1枚ずつ取っては ”ママ泣かないで” と渡していた事だ。 漠然とうちの親は”りこん”するかも知れないと思った。 明日には今まであった家族が無くなる気がして 毎夜眠るのが怖

          両親の離婚

          忘れられない光景

          忘れられない光景が2つある。 まずは駐車場に停まっている母の車の助手席から見える景色だ。 目の前には戸建てが並んでいる。人通りは少ない。 小学4年生になった頃から両親が離婚するまで 週に1〜2回車に連れて行かれる事があった。 そして母の負の言葉をひたすら聞かされる。 職場の人の悪口、父の悪口、そして 私を育てるのがどれだけ大変で母に迷惑をかけているか。 どれだけ母にとって負担になっているか。 それらをひたすら聞かされる。 私はひたすら”そっか、ママ大変だね。辛いね。ご

          忘れられない光景

          忘れられない母の言葉#2

          物心ついてから母によく言われていた言葉は ”あんたなんか産まなきゃよかった”だった。 私には妹がいて、私さえ産まなければ父と離婚して 子なしで自分の人生を新たに歩めたのにと。 (父と離婚したい理由は姑問題と、結婚してみたら恋愛体質な母には  真面目な父がつまらなかったらしい) 今では同じ子を持つ母として よくそんな言葉を発せれたなと思うが 当時の私は ”生まれてきてごめんなさい。” ”私のせいでママが辛くてごめんなさい。” と、本心から泣いて謝った記憶がある。 そして

          忘れられない母の言葉#2

           忘れられない母の言葉

          小学校低学年くらいの時に母に言われた言葉がある。 ”赤ちゃんの時にあんたの首に手をかけたことがある。  お父さんが部屋に入ってきたからやり損ねた。” 言われた当初は、”そうか、私は要らなかったんだ”とだけ 漠然と思ったことを覚えている。 この言葉をずっと意識していた訳ではない。 母はこの様な事をよく私に言ってきていたから 子供だったこともあり慣れていたのかもしれない。 思い出す様になったのは私が母親になって 赤ん坊の我が子と接する時だ。 こんなにも愛おしくて儚くて 何

           忘れられない母の言葉