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両親の離婚
小学5年生頃から父と母の喧嘩が増えた。
一緒に住んではいなかったが
母と祖母(姑)の仲もすごく険悪だった。
子供なので何故なのかは分からなかったが
祖母の家で父・母・祖母の3人で
話し合い、または口論することもあった。
この時1番記憶に残っているのは
話し合い後、泣いている母に姉妹3人で
ティッシュを1人1枚ずつ取っては
”ママ泣かないで”
と渡していた事だ。
漠然とうちの親は”りこん”するかも知れないと思った。
明日には今まであった家族が無くなる気がして
毎夜眠るのが怖かった。
母に何度も確認した。
”お父さんとりこんしないよね?”
母はする訳がないと私に言っていた。
それでも両親の間の冷めた空気は分かった。
裏切られた気がした。
母から何を言われても耐えて耐えて耐えて
頑張って良い子でいる努力をしたのは
”家族”というものを壊したくなかったからだ。
でも結局、子供には何も出来ない。変えられない。
幸せな家庭なんて作れない。
そう悟った日から
自分は1人で生きているのだと思う事にした。
大人と同じで仕事をし、1人暮らししているつもりでいた。
仕事というのは勉強だ。周りを見ない為にも
勉強にのめり込むという事は私にとって必要だった。
自分しか見ない事にした。
その為に自室以外にはほとんどいなかった。
自室は私が1人で住んでいる家だと思う事にした。
そうしなければ心が張り裂けそうだった。
母は私を放っておいた。
話しかけてきたとしても文句ばかりだった。
その時の心理状態の影響で両親の離婚後
11歳で摂食障害・精神疾患を患う事となる。
小学6年生も後半の頃。休日の夕方。
私たち姉妹はリビングでテレビを見ていた。
隣はダイニング。
ふと見ると
母が父に離婚届をつき出していた。
まず思ったのは
ふざけるな、だ。
何故妹たちが見てしまうかも知れない状況で出したのか。
その身勝手さを理解出来ず、ひどく憤りを感じた。
妹達に見せない為にすぐに扉を閉めた。
次の日の朝。
なぜか早く目覚めた。
嫌な予感がした。
玄関に続く廊下をそっと覗いた。
1泊の旅行に行くくらいの大きさの鞄一つを傍に置いて
座って靴を履いている父の丸まった背中が見えた。
あぁ 出ていくんだな
そう思った。何故か声をかけられなかった。
行かないでと言えなかった。
父の何か(今思えば自尊心)を傷つける気がした。
それに言ったところで、もうどうにもならないと解っていた。
今でもあの時の父の背中を覚えている。
悲しい背中だった。見たことに罪悪感を覚える背中だった。
その後、私たちの親権は母が持つ事で離婚が成立した。
父は娘には母親が必要だろうと身を引いた。
たまに思う。
もしあの時父について行っていれば
私の人生は良い方向に大きく変わっていただろう。
今の私には大きな過ちとしか思えないが
その頃の私は、
とにかく母を支えなければと思っていた。
子というのは なんて純粋無垢なのだろう。
母というのは 子にとってなんて大きい存在なのだろう。
こうして母と娘3人の生活が
今にして思えば 地獄が始まった。
今日息子達が一緒に乗り物図鑑を眺めて
笑い合っていた。
上は3歳、下は10ヶ月。
なんて幸せに溢れる光景なのだろう。
そんな光景を眺められる事に感謝する。
nina