忘れられない光景
忘れられない光景が2つある。
まずは駐車場に停まっている母の車の助手席から見える景色だ。
目の前には戸建てが並んでいる。人通りは少ない。
小学4年生になった頃から両親が離婚するまで
週に1〜2回車に連れて行かれる事があった。
そして母の負の言葉をひたすら聞かされる。
職場の人の悪口、父の悪口、そして
私を育てるのがどれだけ大変で母に迷惑をかけているか。
どれだけ母にとって負担になっているか。
それらをひたすら聞かされる。
私はひたすら”そっか、ママ大変だね。辛いね。ごめんなさい。”と
母が聞きたい言葉を一生懸命考えて応える。
母を否定したりするのは勿論
父の味方も絶対にしてはいけない。
異を唱えてはいけない。提案もしてはいけない。
もしそれらをしようものなら
母は全力で私を傷つける言葉を
本人が満足するまで発し続けるから。
母に相槌を打ちながら
父に対して申し訳なく悲しく感じたのを覚えている。
特に夜の営みに関する不満を聞かされた時は
心が捩れる様な痛みを感じ、ひどい罪悪感を感じた。
小学生がだ。
何回か父に相談しようかと悩んだ。
しかし母が私にしている行為を父が知ったら
家族が無くなってしまう気がして怖くて出来なかった。
子供にとって家族が無くなるということは
全てが無くなるという事だ。その時の私はそう感じた。
だから助手席から見える目の前の一軒家を眺めながら
ただひたすらその時間に耐えた。
母の理解者であると演じなければならない事に耐えた。
もう1つは家のダイニングから見える
玄関へと続く廊下に出る為の扉だ。
父は仕事から帰るのが遅かったが母は毎日晩酌相手をしていた。
そしてその際に、いかに私がその日”悪い子”だったか
父に報告するのだ。
”母である私を睨んだ・言うことを聞かなかった
口ごたえしてきた” などなど。
そうなると父は私をダイニングに呼び
小学生が眠くなる時間まで説教をした。
そもそも母の父への報告は全て嘘で
母にとってこれはストレス発散か
私を傷つけたいからしていた行為だろう。
これは母のその日の気分によって行われた。
最初のうちは反論した。
しかし反論すると
”ほらね、この子は嘘も平気でつく。
見てあの顔。あの目つき。”と
母が父に言い、更に怒られた。
その事で私は今でも自分の顔に劣等感を感じている。
そのうち反論を諦めた。するだけ説教時間は延びる。
説教なんていつか終わる。終われば眠れる。
そんな時その場所から見えるのが玄関へと続く廊下へ出る扉だ。
あぁ、靴を履くことは諦めてここから裸足で走って
捕まらずに外に出ることは可能だろうか
こんな”今”から抜け出すことは可能だろうか
といつも漠然と考えていた。できたらいいのになと思っていた。
以上2つの光景は拭いたくても拭えない
私の心に記憶と共にこびりついた光景だ。
なんて暗い光景なんだろう。
当時の私にはどこにも救いがなかった。
それが当たり前だと思っていた。
心理的虐待を受けていたんだなと
はっきりと自身を納得させられたのは
自分が母親になってからだ。
あの頃の助手席にいる自分。
あの頃のダイニングで立っている自分。
その手を掴み連れ出してあげたい。
あり得ないし叶わないと解っていても。
息子達が仲良く一緒に遊んでいる。
私も加わろう。
nina