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精神医学は、大衆支配の為の学問である。精神科医・精神病院の歴史。

 我々が、精神医学をイメージするとき、製薬会社が広告主のメディアが作り上げた色眼鏡でイメージしてしまう。それを取り除いて、本質的な話をしたい。 

 精神医学とは、一般大衆が持つイメージと異なり患者のためには存在しない。社会の為に、個人を攻撃し、個人の脳を改変するように促す残酷なものなのだ。社会や学校に適応できないなら、貴方の脳を変えなさい。社会を変えようとはしないで下さいという支配のための学問なのだ。そして、神経毒が投与され、脳を変えろと言われる。

 代表例を挙げよう。同性愛については、つい30年前まで精神の病気と言われ、精神科医によって監禁されるべきものだった。PC技術の前身とよばれる機械を作り、ナチスの暗号、エニグマを解読し、英国を勝利に導いた天才、アラン・チューリングは、同性愛者であることを理由に拘束された。そして、監禁されるか、薬物投与による去勢の選択を迫られ、当時、精神医学者が信じていたホルモン注射で同性愛は治るという妄想の産物としか思えない根拠のない薬物治療を受け自殺した。

 精神科医学会が、同性愛者を異常者ではないので監禁してはいけないという、現代では当たり前のことを言い出したのは最近である。

A. かつて、同性愛は異常であり、病気であるとされたことがありました。

しかし、現在では、WHO(世界保健機関)や米国精神医学会、日本精神神経学会などが同性愛を「異常」「倒錯」「精神疾患」とはみなさず、治療の対象から除外しています。文部省も1994年に指導書の「性非行」の項目から同性愛を除外しました。

Q. 同性愛者は病気なのではないですか?- So homosexuality is not a disease? | EMA日本 (emajapan.org)

 自民党の支持団体が、同性愛者は精神疾患として扱って欲しいと自民党に要望を出していたのは記憶に新しいが、価値観の強制と、他人の脳への干渉が医学と言えるのだろうか。

 私が主張したかった本題に入りたい。近年、発達障害は、大ブームを起こしている。西村ひろゆきは、このブームについて、「人生が上手くいかない時、人は理由を求める。そのときに、自分は病気なんだと言えば安心できるからその病名を与えてくれるものにすがっている。そういう現象ではないか」と分析している。

 ところで、発達障害は病気なのだろうか?ADHD薬は、劇薬なので、日本では精神科でも一部の医者しか処方できないが、子供の脳をこのような薬で変えていいのだろうか?そもそも、米国では子供の8人に1人がADHDと診断されている。診断の多い地域では男の子の3割がADHDと診断されているが、これは病気なのか?この答えは、ADHDの概念を生み出した医師たちにあった。

 精神医学の権威は、死ぬ前に、製薬会社に金を渡され、頼まれてADHDという概念を作ったと。宗教観から同性愛者を監禁してホルモン漬けにしていた過去と、現在、子供達を神経毒でおとなしくさせることに何か違いがあるのだろうか。学校などのシステムで、従順にさせるために、子供の脳を変えることは正しいのだろうか。

 ちなみに、自閉症児には、統合失調症薬が処方されている。統合失調症薬については、きついものは「飲む拘束衣」などと呼ばれ、発売が禁止されたものもある。これらは感情を失うので、子供を管理しやすい。感情を失った子供なら、親も教師も管理が容易である。

 飲む拘束衣(ベゲタミン)は、飲ませると寝たきりにできるので管理しやすく精神科病院で多用されていた過去があり、販売が禁止になった。

 我々は、現代、管理の為に子供に脳への神経毒を飲ませている。このような行為は許されないはずだ。この本質が、「医療」「治療」などの言葉の響きで、見えなくなっている。

 自閉症の児童に、統合失調症薬を安易に子供に飲ませて、管理している親や教師がいるが、彼らは長期服用で子供たちがどうなるか理解して飲ませているのだろうか。体が意思に反して痙攣し続けたりするなど多くの副作用がある。錐体外路症状などで一度調べていただきたい。

 ところで、学校や社会に適応できない児童は、脳を変えてまで学校に適応するべきなのだろうか?学校や社会が変わるべきではないのか?そんなもの飲まされる位なら産まないで欲しいと私なら思う。

 抗鬱薬や抗精神病薬について、オルダス・ハクスリーという天才作家が、90年前、これらの薬の出現を予言する小説を残している。やがて、幸福感を感じたり、感情をコントロールする薬を人類は誕生させる。そして、その時に、その社会体制で利益を受ける側の人間達が、大衆にそれを飲ませて社会体制を正当化し、社会をコントロールするのに使うと。

https://www.kotensinyaku.jp/column/2013/06/006245/

 この小説は、ディストピア小説として有名な「1984」より海外では高評価を受けて、ディストピア小説の頂点とも呼ばれている。この著者は、社会制度によって利益を受ける側の人間が社会制度で困った人々に薬物を投与して、社会制度を守ることを疑問視している。

 抗うつ薬(SSRI)は、脳内のセロトニン量に着目して、人に幸福感を持たせる薬だが、そんなことをしても、悩みの根本原因は変わらない。

 人は、本来、社会制度によって追い詰められたのであれば、社会制度を変えて欲しいと声をあげるべきなのに、現代社会ではお前の脳を変えろと言われるのだ。

 ちなみに、精神科病院協会などは自民党に多額の献金を行い、集団で政治活動を行うことで、イタリアなどでは既に廃止になった精神病院という監禁施設の維持を実現している。日本医師会は、自民党を動かして特権を維持する圧力団体の代表として政治学などでは取り上げられる。スポンサーのいいなりであるメディアに声がのることはまずないが、学部の人数を絞る知識独占・人命を人質にする政治活動を通じた特権維持などを批判するものは多い。堤未果も、アメリカの医療批判をした著書で、医療という人命に関わるシステムが民営になり、金儲けのために存在していることを批判している。医療とは、もっとも民営化されてはいけない産業の筆頭でありながら、民営化されたものなのだ。そして、スポンサーを絶対に批判しないメディアと、それを見て価値観を持つ大衆は、何も気づかない。知識を独占すればミスがあっても、誰も指摘できない。医師免許を持たない人間がなりすましても、誰一人気づかず何年も勤務していた事件がたまにあるのはそれだ。知識の独占はあらゆる社会において特権への近道なのだ。

 ところで、ここまでで疑問を持たなかっただろうか。精神科医、医師は、社会システムを有利にしろと自分たちは、多額の献金や、投票で政治活動をして声をあげているのに、国民は、学校・社会の為に、貴方の脳みそを変えなさいと精神科医に言われているのだ。この特殊構造が、自分で認識できていないのか、あえて直視せずに利益だけ享受しているのかは分からない。

 ただ、一つ言えることがある。社会制度で利益を受ける側の人間が不利益で苦しんでいる人に、脳を変えろと言って、神経毒を投与することは、非人道的だ。これは医療なのか、私には疑問である。この学問は歴史的に、支配の為の学問なのだ。

 だから、国民全員が該当しそうな概念を大量に作り上げ、気に入らない人間を精神疾患というレッテルで意見自体を潰し、自分の批判勢力を潰す。片田珠美、香山リカ、水島広子など精神科医の著名人はよくこれをして炎上しているが、本質論として、彼女たちがしている行為は精神医学という歴史、観点からは正しい。

 彼らは、反対意見を潰す権力まで持ってしまっているのだ。そして、仲間同士ではかばい合い、CMなどによって運営される主要メディアは完全に抑えているので彼らを批判できる人はいないのだ。

 精神科に誤診は存在しないと言われる。理由は単純だ。根拠がないからなのだ。ローゼンハン実験では、精神科医たちは、偽患者を一人も見抜けなかった。

 未婚者を装って、婚活会場に出入りしたり、悩みを抱えた未成年と連絡先を交換し淫行条例にかからなくなる18歳の誕生日にピルを処方して行為に及ぶなどをしており、文春に、未成年を性的搾取する精神科医と報じられたゆうきゆう先生は正常人だが、全員が既婚者と知った上で不倫していたタイガーウッズは精神疾患なのだそうだ。セックス依存症という。彼らは自分の都合で曲がるモノサシを持つ。

 彼らは、西村ひろゆきの言うように、人生の言い訳をくれる。更に踏み込めば、彼らは休暇を取るための診断書も書いてくれる。貴方が薬漬けになることに同意すれば、障害年金なども受給できるだろう。彼らがくれる人生の言い訳は、彼らの都合の良い体制、社会システムを維持、存続させるための言葉なのだ。苦しいなら、声をあげて政治という舞台に届けよう。子供を変えず、貴方を変えず、社会を変えよう。医者たちが、自分の利益、カネのために制度を変えるように。

 製薬会社と、政治家が宣伝する、抗鬱薬は、貴方の悲鳴を潰し、国民に声をあげさせないためのものなのだ。悲鳴をあげた国民が沢山いるなら、社会が変わるべきなのは当然なのだ。メディアが、精神科医をよく出演させるのは、スポンサーが製薬会社だからだ。この社会の言論は利害でなされるものが多い。背後の利害に気をつけよう。そして安易に風潮に乗らないようにしよう。国民の何割が病気ですというような社会は、社会が病気だ。

 人は、悩みを聞いてくれる人を良い人だと思う傾向が強いが、本質をきちんと見極めよう。精神科病院協会の会長、山崎学氏は、「精神医療は、医療だけではなく社会秩序のための機能もある」「だから、その社会秩序維持の点数(医療報酬)もつけて欲しい」と政治活動をしておられる。歴史的に見れば守る対象は、患者ではなく「社会」だ。

 社会の常識、イメージは、マスメディアが作り上げる。常識に反する論証は批判されがちだがそれでも声をあげなければならない。洗脳関連の専門家、苫米地英人は、子供の頃にドラマを見ていて、ドラマの途中にCMが流れているスポンサーの商品を誰が使っているかで刑事ドラマは誰が犯人か分かるなーと思って眺めていたそうだ。彼はメディアに金を流す人の都合の良い価値観に染まる情報しか流れてこないから、テレビを見るなと主張している。テレビで近年、異常に美化されている精神医学について考え直すべきだ。

 自閉症などは、製薬会社が、彼らに統合失調症薬を処方する暴挙を思いつくまで、冷蔵庫マザー理論などと称して、精神科医学会は、母親の子育てのせいでそうなったので悪いのは母親と家庭ですと吹聴していた。

 また、心理学、精神医学は、マシュマロ実験というものを公表し、遺伝子が悪い子は貧困層になり、社会的弱者になると公表していた。そして、世間にその情報を拡散していた。これは、50年後、再現実験に失敗し、遺伝子が悪い子だったのではなく、ただ家庭環境が悪い子だっただけだよねと指摘され、撤回に追い込まれる学説になった。

  ところで、自閉症に対しては、貴方は家庭環境のせいですといいながら、貧困層には、貴方は遺伝子が悪いのですと言っていたのが、精神医学だ。いずれも、社会批判させないために、批判の矛先がクルクル変わっている。予め学者が大衆に見せたい、大衆に信じさせたい結論が定義されていたのだ。

九州⼤学の⼭⽥祐樹准教授は「有名な⼼理学の実験で最近、再現できない事例の報告が相次いでいる」と話す。

⼼理学で再現できない研究がなぜ⽬⽴つのか。⼤阪⼤学の三浦⿇⼦教授は「捏造(ねつぞう)ではないものの、結果を都合よく利⽤する研究が⼀部で許容されてきた」と解説する。100年以上の歴史はあるが、確⽴した⼿法がなかった。実験を何回繰り返すかを事前に決めず望む結果が出た時点で打ち切ったり、結果の⼀部だけを論⽂に載せたりする慣習があった。実験結果に合うよう仮説を作り替えることもあったようだ。

http://team1mile.com/asarinlab/2019/12/15/20191214nikkei/

 精神医学のデタラメは、最近だけのことではない。刑法学では、ロンブローゾという精神科医が、悪名高い、生来性犯罪人説という学説を唱えたことで有名になっている。これは、骨相学と称して、頭蓋骨を見れば、人の性格や本性が分かるとしてかつて欧州で流行していた学問などを基礎にしていた。骨相学も、当時、白人が信じたかった白人優位の結論を導く為に、白人は素晴らしいという結論になる理屈を無理やりつけようとしたものでは?と指摘されており、今では誰も信じていない。

 ADHDの概念について、製薬会社から金を貰ったので作ったと言って亡くなった精神医学の権威を紹介したが、専門家もまた、自分の利害があり、眼鏡、観察眼は常にそれで曇っている。きちんと物事は自分で判断する習慣が必要なのだ。

 そもそも、精神病院、精神科病院は、浮浪者など、権力者にとっての邪魔者を監禁するために設置されたのが起源である。

 精神医学は、歴史の始まりからずっと、自分たちの都合の良い社会制度、社会システムを攻撃させないためのロジックを大衆に信じさせる学問なのだ。精神科医の著名コメンテーターたちが嫌いな人を潰すために、よく精神疾患のレッテルを利用しているのをみて、彼らが患者の為の存在だと、どうして信じることが出来るだろうか。

 海外で縮小や廃止になっている精神科病院は、現在、日本だけがその規模を維持し大勢の認知症老人を入院させている。政治活動、政治献金を通じて自分たちが金を稼ぐシステムを守っているのだ。老人ホームでいいものを、医療機関として受け入れることにより無意味で無駄な医療費が大量に自分たちに流れ込むシステムを築いている。

 以下で紹介するのは、精神科医で検索すると、一番注目度があるとして表示されるツイートだ。金があれば精神は安定すると精神科医に言われたと。ところで、彼らは自分たちは政治活動を通じて金を稼ぐ利権を守るがそれを患者には教えない。そして、患者には優しく「脳の病気だから休んでいいんだよ」と言ってくれる。言っていることは優しいが、依存性の高い薬物で脳をいじってくれるのだ。本当にそれは優しいのだろうか。営業マンも、ホストも、キャバ嬢も、みんな微笑んで優しい言葉をくれるが対価は持っていく。

 社会システムを変えればいいなどは言わずに、君の脳がおかしいと優しく微笑むのだ。自分たちは社会システムを変えろと政治家に常に圧力をかけているにも関わらず。

 根本的に彼らはおかしい。

 精神科医など支配者層の人間にとって、社会は悪くないし変えるべきではないという前提条件が思考の原則になるのは自明だ。自分の利益に関わるから。そして、適応出来ない個人の脳こそを変えるべきであるという世界をどうしても信じたいというバイアスがある観察を常にしている。そんな観察に価値があるだろうか?

 マイケルサンデルは、この社会は格差を正当化するために、いろんな論理を格差をつけた側が社会神話として流しているだけだから、累進課税など課税は重要だし、社会的弱者のために社会的強者はもっと納税しろなどと語っているが、精神科医がそれを言ってくれるだろうか?絶対に、言わないだろう。それどころか、自分たちにはもっと金を寄こせと政治活動して騒いでいるではないか。貴方たちを精神的に追い込んでるのは、自分たちが、利益を正当化するために流した社会神話なのですと言うだろうか。当然、言わないだろう(彼らに自覚があるかどうかは別にして、これはサンデルによる本質をついた指摘だ)。

 オルテガは、「私は、私と私の環境である。そしてもし、この環境を救えないなら、私をも救えない」という言葉を残している。精神科医は、社会を変えずに、お前の脳みそを変えろと言ってくるが。それは優しい行為なのだろうか?確かに、この国においては、休業も、年金も、精神科医のさじ加減で得ることが可能だ。だから、彼らが神に見える人もいるだろうが、落ち着いてきちんと物事を自分の頭で考えて判断したいものだ。

 薬で人の脳を変えたいということ。社会システムではなく個人を攻撃すること。この2つが大前提になり、その企業と利害関係を持った人が自分の生活のために何かを語る特殊な学問なのだ。本質的に通常の医学ではない。

 鬱病から発達障害などに話を戻すが、薬などなかった時代は、みんな違うのが当たり前だった。現在、精神科医があらゆる個性に病名をつけ、理想の人格を提示し、こういう性格でなければ異常だと宣伝して回る行為こそが大衆を追い詰めているように感じるが。その彼らが金になる患者と判断するや否や微笑みかけるその笑みは一体。。。

 最後に有名な詩をどうぞ。みんな違ってみんないい。

金子みすずの詩です