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『現代思想入門』-『構造と力』を読めるようになりたい③

今回は『現代思想入門』より、ポスト構造主義について整理したい。


↓前回までは、構造主義を整理した。

はじめに

『現代思想入門』の内容を整理するが、
本記事では、ポスト構造主義について主要な3人、
デリダ、ドゥルーズ+ガタリ、フーコーを扱っている、
『現代思想入門』第3章までを整理したものである。

第4章以降では、ポスト構造主義以前の思想や、
さらにポスト構造主義を深掘りしたもの、
今後の現代思想について記されているため、
そちらに興味がある方は、本書を手に取って参照されたい。


『現代思想入門』 はじめに

『現代思想入門』「はじめに」では、ポスト構造主義の前段知識について、わかりやすく記述されている。

まず構造主義の「構造」とは

構造とは、おおよそ「パターン」と同じ意味だと思ってください

『現代思想入門』p.23

と、著者の千葉さんは述べている。
(前回までの記事で確認したところである。)

そしてポスト構造主義とは、

それに対して、パターンの変化や、パターンから外れるもの、逸脱を問題にし、ダイナミックに変化していく世界を論じようとしたのが、ポスト構造主義だと言えるでしょう。

『現代思想入門』p.24

「二項対立の脱構築」だと思います。(中略)ここで簡単に言っておくなら、物事を「二項対立」、つまり「二つの概念の対立」によって捉えて、良し悪しを言おうとするのをいったん留保するということです。

『現代思想入門』p.25

そもそも、二項対立のどちらかがプラスなのかは、絶対的には決定できないからなのです。

『現代思想入門』p.27

構造主義以降の思想の潮流である「ポスト構造主義」は、
フーコー。バルト、レヴィ=ストロース、ラカンなどが
物事を捉える術として確立した「枠組み」「パターン」「構造」というものに対して、

「それでは物事は十全には捉えることができない」と指摘し、
それを乗り越えようとしたものであることがわかる。

そして、レヴィ=ストロースが確立した二項対立の複合での物事の捉え方には、限界があり、
つまり「二項対立」自体の方法を脱する必要があることもわかる。

大まかに言えば、
「ポスト構造主義=脱構築=脱二項対立=脱枠組み」である。

そして、本書3章までで扱う3人について、

本書では、デリダは「概念の脱構築」、ドゥルーズは「存在の脱構築」、
フーコーは「社会の脱構築」という分担で説明します。

『現代思想入門』p.28

と千葉さんは捉える。


『現代思想入門』 第1章

デリダは「概念の脱構築」である。

ポスト構造主義=現代思想とは「差異の哲学」であると、ひとことで言ってよいと思います。

『現代思想入門』p.35

さて、これはどういうことか。

差異の哲学とは、必ずしも定義に当てはまらないようなズレや変化を重視する思考です。

『現代思想入門』p.36

ひとつの定まった状態ではなく、ズレや変化が大事だと考えるのが現代思想の方針なのです。

『現代思想入門』p.36

固定的な同一性(それがそれでしかない)とは、
例えば、固定観念と見做せばわかりやすいが、
固定観念はあくまで時代的なものであって普遍的ではない
ことは以前の記事までで了解できると思われるが、
このように、何かを「ひとつの定まった状態」と見做すことは、
誤った見方になりかねないことは当然であると考えられる。
固定観念の脱構築、物事の見方の脱構築とでも言い換えられる。

しかし、

とにかく差異が大事だと言うだけではなく、物事には一定の状態をとるという面もある

『現代思想入門』p.37

とデリダを解釈し、千葉さんは、これを「仮固定」と呼ぶ。

デリダの二項対立のバイアスのかかった価値観を疑い、
その対立が互いに依存し合い「宙吊り」のような状態にする論法を
千葉さんは「概念の脱構築」と名づけたのである。

以降の章は、その論法が具体的なものに及んだものである。


『現代思想入門』 第2章

ドゥルーズは「存在の脱構築」である。

ものの存在をある同一性とそれ以外という対立関係から解放し、普遍的な持続可能性として捉えるところが、「はじめに」で予告した「存在の脱構築」の核心です。

『現代思想入門』p.64

さて、どういうことか。
そもそも、

世界は差異でできている。

『現代思想入門』p.61

というのがドゥルーズが示した世界観である。

ここで言う「差異」とは何か。

そもそもA、Bという同一性よりも手前においてさまざまな方向に多種多様なシーソーが揺れ動いている、とでも言うか、いたるところでバランスの変動がある、という微細で多様なダイナミズムのことを差異と呼んでいるのです。

『現代思想入門』p.65

私は完全に理解したとは言えないが、
ソシュール的なものに近いのでは?というのが、最初の感想である。

もともとふんわりとした存在や関係性が、
どんどん細分化し、同一性(アイデンティティ)の確立する
(急にものが現れた訳でもなく)意識によって概念が形成されている動き

つまり、関係を固定化する、規定化するという同一性は、
ふんわりとした差異から分離したものであり、同一性は二次的である。

そして、そのような差異の捉え方から、ドゥルーズは

リゾームとは、(中略)多方向に広がっていく中心のない関係性のことです。そして重要なのは、リゾームはあちこちに広がっていくと同時に、あちこちで途切れることもある、と言われていることです。

『現代思想入門』p.74

一見バラバラに存在しているものでも実は背後では見えない糸によって絡み合っている

『現代思想入門』p.64

「リゾーム」という概念を提唱し、物事の見方を提出している。
物事はあらゆる方向性に関係し、また無関係であるという
無限的な見方は、二項対立の枠組みを大きく超えたものであると言える。


『現代思想入門』 第3章

フーコーは「社会の脱構築」である。

脱構築とは「二項対立を揺さぶる」ことですが、それが社会においてどういう問題になるのか。フーコーは、「権力」の分析を展開しました。

『現代思想入門』p.84

さて、どのように権力について分析したのか。

支配を受けている我々は、実はただ受け身なのではなく、むしろ「支配されることを積極的に望んでしまう」ような構造がある

『現代思想入門』p.85

と指摘する。(詳しくは本書を読んでほしい)

これは例えば、我々が当たり前だと思っている社会システムは、
例えば、何かしらの手続きなどは、
必ずしもそうである必要はなく、絶対的な正解でもない。
しかし、我々は何ら違和感を抱かず、ただ享受している。
日常的なレベルにおいて、何かしらのシステムを変えようとする人はなく、
ただあるシステムを享受するだけであることが普通である。

それを享受している本当の理由は、
考える又は、行動に起こすが面倒であり、
結局はそれを積極的に望んで受け入れているに過ぎない。

そう考えれば、何となく了解できる話である。

フーコは権力のレベルを3つ、
ざっくり言えば、王様の時代、近代、現代に整理する。

王様の時代は、
悪いことをすれば公衆の面前で処罰を与えられるものの、
バレなければ罰せられない時代。
要するに、悪いことが見つかった場合に罰せられる。

次に近代については、
フーコーは「規律訓練」と称す。

誰に見られていなくても自分で進んで悪いことをしないように心がける人々を作り出すこと

『現代思想入門』p.93

民衆に大使して意識化させる権力のあり方を指す。
また、フーコーはパノプティコンを例にし、自分で自分を監視させる、権力の不可視を説明している。
(本記事では、ここまでとしておく。)

そして現代は、
「規律訓練」と「生政治」の二面性から、権力が働いていると千葉さんも指摘する。

もっと大規模に人々を集団、人口として扱うような政治

『現代思想入門』p.98

「生政治」と称し、
千葉さんは、これを即物的なレベルの権力行使、
要するに意識といった内面ではなく、実態的な措置のこと、と解説する。

本書でもコロナの例を挙げ、
出歩くことを控えることを「規律訓練」、
ワクチン接種を強いることを「生政治」として当てはめられることを指摘している。
他にも、「タバコは健康に悪い」から喫煙所を減らす働きを挙げている。

人間をどのように管理するかという社会的側面に関心があったフーコー。
以下は、千葉さんのフーコの解釈である。

人間は他の動物とは違い、過剰さを持っています。本能的な行動をはみ出した行動の柔軟性を持ちます。だからそこ逸脱が生じるわけなのですが、それを可能な限り一定方向に整序して行動のパターンを減らすことで安心・安全な社会を実現していくというのは、言ってみれば人間が擬似的に動物に戻るということに他なりません。今日における社会のクリーン化は、人間の再動物化という面を持っているのです。
フーコーは、人間がその過剰さゆえに持ちうる多様性を整理しすぎずに、つまりちゃんとしようとしすぎずに泳がせておくような社会の余裕を言おうとしている。

『現代思想入門』pp.101-102

「人間が逸脱するのは過剰さを持っている」
というのは前提条件としている。
その中で、整列立った、規律の蔓延する社会「システム」を、
本能「システム」のままに生きる動物になぞらえて、
批判することが読み取れる。

おわりに

構造主義でみた二項対立的な「構造(枠組み)」の捉え方では、
限界があるため、「二項対立の脱構築」を様々な側面で検討したのが、
以上の3人であると言える。

『現代思想入門』にはポスト構造主義者の考えが、
現代の例えを用いて説明している箇所もあり、
様々な言葉で言い換えられてもいるので、
非常に読みやすく、伝わってきたのが感想である。

ただし、相手はポスト構造主義。
分からない箇所もあったが、
千葉さんの例えや簡易な言葉で表された文章から、
なんとなくのニュアンスは掴むことができる。

初心者には非常に助かる良書!


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