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【30分エッセイ】 内なる声の持ち主は・・・。


自分に負けている。
いや、何を持って勝ち負けを決めているのかは分からないんだけど、昨日は完全に負けたと思う。自分の中で決めたことをできなかった。朝に紙に書いたのに。「今日はコレをするんだ!」と意気込んだのに。結局、やらなかった。ダメだね、こりゃ。自分の中の何かが緩んでる。

何が原因で緩んでるんだろうね。わからないなぁ。何があったんだろう。自分的にはやってるつもりなんだけど、“つもり”なんだろうねぇ。進歩がまるで見えてこないさ。進歩が目に見えたらいいんだけどなぁ。

昨日は、英語が上達していく人の動画を見てしまった。
これにはショックを受けた。メキメキと上達していく様子に衝撃。でも、やっていることはシンプルだった。毎日、コツコツ勉強をするだけ。本当にこれだけ。これだけなんだよね。だからこそ、余計にショックを受けたんだと思う。

思い返せば、いろいろな大人から「勉強しなさい」と言われてきた。でも無視して育ってしまった。勉強の、べの字を聞くのも嫌ってくらい、勉強が苦手になっちゃった。でも、優秀な友達は毎日やっていたから、お医者さんになった。
この差よね。この差は大きいよ。

結局、毎日、コツコツと積み重ねてる人が強い。強いというか、カッコいい。憧れちゃう。じゃあ、自分は何をしているのかを考えてみたら、何もなかった。なさすぎて凹んだよ。

結局、地道な日々の積み重ねなんだよね。頭では分かっているけど、できないことの方が多いと思う。毎日続けていることねぇ……。この30分エッセイも続けてきたけど、上達とか、そういったモノはない。だって、ただ、指がキーボードを叩いているだけなんだもん。技術も何もいらない。

これまで何度も英語を勉強しようと思ってきた。でも続かなかった。たぶん、それは目的がなかったからだと思う。旅行に行く予定もなければ、留学する予定もないし、外国人と交流する機会もない。なんで英語を勉強したいのか、なんで英語を話せるようになりたいのか、という明確な理由がないから続かなかったんだと思うんだよね。

この30分の時間の目的は何かというと、ただのデトックス。自分の心を整理するための時間。書くとスッキリするってだけ。例えるなら、なんだろうね。うーん、うーん。趣味、かな? ゲームみたいな感覚かな。少なくとも勉強って感じではない。そこが違うんだよねぇ。

英語みたいに進歩が実感できる何かをしてみたいな。
だから、じゃあ、英語の勉強やるか! と思って、学生時代に使っていた単語帳を引っ張り出してきた。他の教科書類は、全て処分したのに、単語帳だけは残ってた。

ほらね! 
昔から英語を勉強しようという気持ちだけはあったんだよ。できないくせに!
人は変わっていく生き物だと思うけど、変なところが変わらなかったりもする。

さて、今はテーブルの上に重ねられた英単語帳。これ、開くのかな。使うのかな。ちょっとしたプレッシャーを感じている。ただでさえ積読された本たちからの無言の圧もあるっていうのに。さらに単語帳を乗せてしまったよ。

そうそう。読む本が溜まりすぎている。山になっている。これを消化しないと。第一優先はコッチなんだよね。せっかく買ったんだから。しかも全部面白そうなんだから、早く読まないと! 

いつも内なる自分が自分を追い詰めてくる。
もう一人の自分。割と厳しめな自分だと思う。
なんでもっと優しくしてくれないんだろうね、もう一人の自分って。
いっつも急かしてくる。

「あれやった?」
「これやった?」
「もっとできるんじゃない?」
「それで満足していいの?」
「君には何ができるの?」

こわーい。体育会系だぁ。なんでこんなに怖いんだろう。責めないでよー!
とはいえ、こんな恐ろしいことを言ってくれるのは、あなたしかいなんだけど、それにしてもさ、もっと優しくなっていいんでないかい?

内なる声は他者の声らしい。
自分が出会ってきた人、影響を受けた人の声が反映されるんだって。スポーツだったら、コーチの声が自分に内在化するんだって。そんな感じで内なる声は、他者との関わりで形成されるらしい。そう考えると、読書をしていると、他者が自分の中にたくさん入り込むから、あらゆる声が聞こえてくるようになる。
やっぱり視点ってたくさんあった方がいいと思うから、自分の中にどれだけたくさんの他者を存在させるかって、ところがポイントになってきそうだよね!

そう考えると、なるべく素敵な人たちと関わった方がいいし、本をたくさん読んだ方いいんだねぇ。映画とかドラマとかでもいいんだけど!
関わるものが、自分の内なる声を形成する。「今は絶対怒っちゃダメだ」とか「落ち着こう、落ち着こう」なんて声も他者の声。自分を支えているのは、自分だと思ってきたけど、違うらしい。やっぱり、人は一人では生きていけない。物理的なこともそうだし、精神的なことでもそうだと思う。

他者との関わりを絶ってしまったら、内なる声が自分一人になってしまうんだね。一つの視点からしか物事を考えられなくなってしまうし、世界がどんどん狭まってしまう。

内なる声って、意外と大事だよね。自分を責めるタイプもいれば、相手を責めるタイプもあると思うし、自分を鼓舞するタイプもいると思う。いや、それだけじゃなくて多様だとは思うんだけど、一度、自分の内なる声が何者なのかを考えてみるの楽しそうだよね。

そこにはきっと、声の持ち主が見つかるはず。自分がどんな人たちと関わってきたのかも見えてくる。面白いねぇ。面白いよ。オリジナルの思考とか、オリジナルの作品なんてないからね。絶対に何かの影響を受けているし、誰かの真似をして生きている。

その場所に立っているだけで、その人はオリジナルで、他に代えようがない。それがオリジナルだと思うんだ。

この30分は誰の言葉なんだろう。誰が考えているんだろう。
でも、自分が書いているというだけで、オリジナルになってしまうのよ!
そういうこと!

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キナリ
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