キナリ
フィクションです。
アーカイブです! 2021年に更新された、エッセイなのかなんなのか。フィクションです。
2022年の毎日
アーカイブです。 2021年に毎日更新してきたこと。 意味も無い。価値も無い。 捨てられた日記。 フィクションです。
きっといつかは、「手放すとき」が来るだろう。 そんなことを思うときがある。 フィギュアを買ったとき。 本を手に入れたとき。 食器を購入したとき。 家電を買い替えたとき。 服を売ったとき。 親の老化を感じたとき。 子どもの成長を目の当たりにしたとき。 恋人へのハートが消えたとき。 人生に疲れたとき。 大金を手にしたとき。 ペットが死んだとき。 植物が枯れたとき。 季節が変わるとき。 友人が結婚したとき。 兄弟姉妹が就職したとき。 引っ越すとき。 プロジェクトが始まるとき。
ウチの冷蔵庫には減らないクッキーがある。 白い丸皿の上に、いつもひとかけらのクッキーが残るのだ。 いざ食べようと思ったら、すぐになくなり、足らなくなって、そこに一枚か二枚クッキーを追加する。そして、食べる。でも、食べ切る前にお腹が膨れてしまう。だから、ひとかけらを残してラップをかけて冷蔵庫に戻す。 予備のクッキーが少なくなってきたら、スーパーで材料を買ってきて、新たなクッキー作りを開始させる。だから、減らない。この繰り返しだ。 「アンタはどうして、飲み物を少しだけ残すか
エスプレッソを追加した濃いめのソイラテが胃に落ちる。ドクンドクンと心臓のポンプが活気出した。駅徒歩0秒をうたうカフェのカウンター席でキーボードをタイプしていると、店内から生活の声が聞こえてくる。耳をそばだてる必要もなく、丸い声と四角い声が耳に入ってくる。 「この前の月曜と火曜でさ、久々にアキとヨーコと休日とってディズニー行って来たんだけど、ほんっと最高だった」 丸い声は、泡が弾けるみたいな話し方で喜びを表現している。 「でも、疲れがヤバくて。帰ってきてから、マジでずっと
ものごとを論理的に考えられる人に憧れがあった。喋る時も「結論から申し上げると」などと言える人になりたかった。だから、努力した。会話をする時も、一度、頭の中で整理をして喋ったり、台本を作るような感覚で自分の意見が短くストレートで伝わるように工夫した。実際に、台本を作ったこともある。頭の中だけでなく、文章も論理的な構成にしようと、アレコレ試してみた。 でも、無理だった。 まとまっているようでゴチャゴチャになった。文章にしたって、喋ることにしたって、出てくるのは決まってウチの感
最近、「原因は一つではない」ことを、意識している。意識しているというか、そう考えるクセを作ろうとしているといった方が正確かもしれない。 ことあるごとに「原因は一つではないぞ!」と自分に言い聞かせている。 特にテレビやネットニュースを眺めているときは、それを意識している。「円安経済なのは、総理が~」とか「政治ジャーナリストを刺した犯人は、彼の親が~」とか。人々の目を引くために、あらゆるパワーワードが並んでいるが、その全てに対して、「いやいや、原因は一つではないからね」とツッ
ウチは、ものっすごい人見知りだった。もう、これは保育園の頃からの筋金入りだ。園内でも緊張するのか、すみっこの方で三角座りをして、ずっと周りの友達や先生の顔色をうかがっていたんだとか。 もはや、ここまでくると人見知りというよりも、人間恐怖症の気配があるが、ウチとしては「人見知り」という認識で、やり過ごしてきた。 人見知りは「性格であり、個性」だと思うようになったのは、中学生くらいの頃からだ。小学校の頃から大きく環境が変わり、新たに出会う友達と馴染むまでに時間がかかった。それ
すごく苦手な男性がいる。その人は、いつも自分が上位に立っているかのような挙動をとる。マウントを取る、というやつだ。そして、求めてもいないのに、勝手にアドバイスをぶつけてくるし、なにより言葉の一つ一つが乱暴で受け取るたびに、ズンと重いパンチをもらったような衝撃が走る。それが本当にイヤで、できれば一緒にいたくないし、離れたい気持ちはあるのだが、仕事上、そうもいかない時がある。 飲み会の時だった。中華料理屋で紹興酒をチビチビやりながら、同僚のクイズオタクであるショウコが作った「会
世の中には色々な人がいる。それぞれが強烈な個性の色を出していて、その発色はまぶしいくらいだ。そうとは思えないけれど、ウチだって強烈な個性の持ち主の一人なんだろう。 誰一人として同じ人間はいない。でも不思議なもので、似たような属性を持った人がいて、それを「リーダータイプ」などとジャンルで括ってみたり、もう少し細かくした「穏やかな性格」といった分け方をしてみたりする。 そこで最近思っていることがある。 あらゆる属性の中で、最も強い属性とはなにか。 特に今回は「性格」に絞って
誰かに何かを言われたワケでもないのに、期待に応えようとしちゃう。つい褒められたくて、すごいって言って欲しくて、力んでしまう。頑張ってしまう。これを【期待に応えようとしちゃう症候群】と呼ぶ。 この病気は、年中無休の長引く病だ。 でも特効薬もある。 それは「リラックスしなよ」という言葉。 そう、この病気にかかると、どうしても力みが生じてしまう。真面目だからこそ、自分ならもっと出来ると思っているからこそ、発症してしまうのだ。だから誰かが薬を処方してあげなければいけない。
人間に与えられた最も優れた能力は「想像力」だと思ってる。イマジネーションだ。たとえば小説を読んでる時は、登場人物の姿、形、声、姿勢、歩き方などをイメージしながら読み進める。すごい能力だと思う。頭の中の世界には限界がなく、どこまでも想像力の世界は広がっていく。 もちろん、人間であるウチの中にも想像力はある。でも、実は「想像する」という行為にたどり着く前に出来上がってるような、もっとぼんやりとした、でも、確かに存在する「イメージ」があったりする。これをウチは、「イメージュ」と呼
っていう、メモをスマホに残していた。正直な言葉だなと思った。とっさにメモ書きに殴りつけるようにして入力したんだろうね。 ♢ この日、ウチは飲み会に参加していた。以前から飲みの約束をしていたらしい同僚チームと、たまたま帰宅タイミングが重なったことで、「軽くいく?」とノリで誘われたのだ。 一人で過ごすことの多いウチは、飲み会に参加することなんて滅多にない。でも、ここのところ、一人で思考することの限界を感じ始めていたので、数名での飲み会は、自分にとってのインプットの場所になる
ファッションは他人が見るものだ。 だから、自分のファッションセンスを信じない方がいい。鏡を見て、自分を確認する時間は、1日のうちでほんのわずか。どれだけ自分ではお気に入りの服を着ていたとしても、そのほとんどの時間は他人が見ている。いや、見せられているのだ。 独特のファッションセンスを見せられる相手の気持ちを想像してみてほしい。とりあえず「オシャレだね」と言うしかないが、心の中では「こんな奴に隣を歩いて欲しくない」と思われていることがほとんどだ。 だからこそ、ファッション
豆腐メンタルのウチは、成功体験を積み重ねることを自分のルールに課している。ミスを恐れ、失敗に悩み、不安に苛む日々からの脱却ばかり考えた結果、辿り着いた自分なりの戦闘スタイルだ。 だから、ウチは小さなことでも「成功したぜ!」と言い聞かせることにしている。たとえば休みの日なのに、早起きをすると決める。そうして、本当に起きる。 「起きれた! ウチって、意思が強いんだ!」 些細なことかもしれないけど、小さな成功体験を重ねていくと自信に繋がるらしい。夜遅くに帰宅した時、冷蔵庫の中
ウチの部屋にある壁掛け時計は、たまに喋る。一時間ごとに「ケロケロ」とカエルみたいな声をあげるのだ。時計の中心には、小さなカエルの絵が刻まれており、喋る時には目を光らせる。 いつからこの時計がウチの部屋にあるのかは覚えていない。自分の部屋を与えられたのは小学校高学年の頃だったけど、たしか、その頃からカエルは部屋にいた。それから一人暮らしを始めても、カエル時計は一緒にいる。ずっと一緒だ。 カエルは、ウチの青春の全てを知っている。失恋した時に、部屋で涙を流しながらギターをかき鳴
今だに、アニメを教養のないエンタメだと思ってる人がいる。ワザワザ口にはしない。でも、心の奥底では嘲笑しているのが見え隠れする。この前も、60代のオジサマと話していて感じてしまった。 「週末はどこか行った?」 「映画を観てきましたよ」 「お、いいねえ。もしかして、タランティーノ?」 「タラ? いや、アニメ映画です」 「ああ、俺、見ないから全然わかんないや」 「面白かったですよ!」 「そうなんだ。なんかさ、子どもが見る系のものって、どうもね」 「はあ・・・」 「
人間の価値は、みな同じだ。でも、だからといって、役割が同じワケではないんだと思う。どうやって考えてみても、人には、人それぞれの役割があるんだと思ってしまう。それを個性と呼ぶのかもしれないが、そんな役割は確実に存在する。 食事会になれば、ウチは必ず「聞き役」になるし、どう頑張っても剛腕を振るって人を束ねるような「リーダー役」にはなれない。でも、別にここに優劣があるワケではない。これは、人それぞれに割り振られた「役割」なんじゃないかしら。 ドラマに出てくる役柄を演じるようなも